2023年12月13日 | 2024年10月2日更新
※文化時報2023年5月30日号の掲載記事です。
本紙でも「看仏連携」という言葉がたびたび出てくる。看護師と仏教僧侶が協働してターミナルケアなどに取り組むような意味に使われている。僧侶には僧侶の仲間がたくさんいるように、看護師も横のつながりは強い。
先日、ある看護師が「仲間を紹介したい」と言ってきた。相手の名前をネットで検索すると毎日新聞の記事がヒットした。わが子を虐待してしまう親の回復支援に取り組んでいるそうだ。同じ大阪市内で社会問題に取り組んでいるその看護師に、ぜひ会ってみたくなった。
指定された店は韓国料理の居酒屋だった。紹介者が筆者に気を使ってくれたのか、あるいはものすごい豪快な看護師が現れるのか。楽しみにしながら店で待っていた。
「30分くらい遅れます」と紹介者から連絡がきた。病院で勤めている看護師ならよくあることだろう。しかし、困ったことにこちらは店に入った後だった。「もう店の中なんですが」と返信すると「先に始めててください」と。
初対面の社会派看護師を迎えるのに「こちらが先に飲んでていいものだろうか?」と一瞬ためらったが「待たせているのは相手だし」と自分に言い聞かせて生ビールを注文した。
相手が現れたのは、3杯目の生ビールが運ばれた直後だった。「遅くなってごめんなさい」「いえいえ、こちらこそお先に失礼しています」と、名刺交換もそこそこに乾杯となった。坊さん1人に看護師3人の遠慮なしの飲み会が始まった。
看護師の仕事は激務である。神経も使う。だから仕事を離れたプライベートタイムは派手に飲み食いする。世の中の看護師が全てそうだとは思わないが、少なくとも会社勤めの人よりは飲み方はすごい印象がある。
「看仏連携は飲み会から始まる」が筆者のスタイル。一気に距離が縮まる。その日は具体的な連携の話が進んだ。
翌日になって、連携の話を相手が覚えてくれているのか心配になった。それくらい飲んだ量がすごかった。でも大丈夫だった。来月一緒にイベントをすることが決定した。