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「文化時報」コラム

〈63〉僧侶をもっと頼って

2024年1月30日 | 2024年10月2日更新

※文化時報2023年8月29日号の掲載記事です。

 先日、兵庫県某市のケアマネジャーの集まりで研修講師をしてきた。

 ケアマネジャーは、利用者個人だけでなく、その家庭の課題もよく見える立場である。しかし、介護保険制度の中で動いている以上、気になってもなかなか踏み込むことは難しい。グループワークで「気になるけど、踏み込めないケース」を出し合ってもらうと、予想はしていたが、出るわ出るわでワークが止まらなくなるほどだった。

 踏み込むのが難しい理由は、「助けてと言われていないのに動けない」「解決の方法が分からない」「緊急性がない」などであった。よく言われていることだが、8050問題(50代の子が80代の親に依存して暮らしている社会問題)は、5020(親が50代で子が20代)の頃から兆候はある。課題を先送りにして、どうにもならなくなってから慌てても遅い。

 ケアマネジャーの皆さんに、こう申し上げてきた。「僧侶の仕事は『あなたもいずれ命を終える時がくる』と伝えることですよ」と。「縁起が悪い」と言われようとも、いつかやってくる「死」を自分のことと気が付いてほしい。これが僧侶の大事な役目のはずだろう。ケアマネジャーが言いにくければ、僧侶が代わりに言うので頼ってほしいと思う。

 ただし、筆者は大阪市が主な活動場所なので、隣県とはいえ兵庫県までは手が回らない。文化時報社が設立した一般財団法人「お寺と教会の親なきあと相談室」に頑張ってもらうしかない。

 こんなケースを披露してくれたケアマネジャーがいた。ある利用者が病院で亡くなった。子はいるが障害がある。病院から連絡がきて「遺体を引き取ってほしい」と。

 医療からするとケアマネジャーは「何でも屋」だと思われている。それでどうしたのかと尋ねると、葬儀社に連絡して葬儀を執り行ったそうだ。「次にそんなケースがあったら真っ先に三浦さんに連絡しますね」と言われた。「いやいや、亡くなる前に連絡してほしいのですよ」と答えておいた。

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