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「文化時報」コラム

〈64〉福祉仏教の葬儀

2024年2月2日

※文化時報2023年9月12日号の掲載記事です。

 「文化時報 福祉仏教入門講座」第5期の受け付け真っ最中である。お寺や教会には可能性がいっぱい詰まっている。

 社会資源として開放してほしいという願いは第1期から変わらない。社会の変化が急速すぎて、真面目で慎重な宗教者の皆さんは困惑していることと思う。多少の受講料は必要だが、お寺や教会の未来を考えるヒントは盛りだくさんだと自信を持っている。ぜひ違った視点も参考にしていただきたい。

 筆者が得度したのは2009(平成21)年のこと。読者諸氏からすれば、まだまだ駆け出しの新米僧侶である。「終末期から葬儀・納骨までトータルに寄り添える僧侶がいたらなあ」という願望を持っていた。そこへ師僧となる瑞興寺(大阪市平野区)の住職に出会った。「君がその僧侶になればいい」という言葉に後押しされ、東本願寺へ向かったという次第である。

 当時は「僧侶が終末期の現場にいたら嫌がられるだろう」と思われており、共感してくれる人など皆無であった。しかし、終末期の姿を見ているからこそ、ご家族さんと一緒に葬儀を執り行う意味があると強い信念を持っていた。どうすれば違和感なく終末期の現場に立てるのだろうと考えた。そして得た結論は、元気な時から一緒にいればいいのだということだった。

 高齢者と一緒に花見に行き、夏祭りを楽しみ、餅つきを共にする。その延長線上に終末期があるのだった。

 狙いはドンピシャだった。火葬を待つ間に、ご家族さんと故人さまの思い出話をするのが恒例となった。多くの僧侶は、その時間はいったんお寺へ戻ったり、他の法務をしたりしているだろう。筆者は火葬場の待合室に残りご家族さんと談笑する。火葬場で「笑う」とは不謹慎と思われるかもしれないが、ご家族さんと一緒に「笑う」ことは多い。そんなことができるようになった。

 先日、葬儀社に頼まれてある葬儀で導師を勤めた。故人さまのお顔は遺影で初めてみた。もちろん、ご家族さんとも初対面。ものすごく居心地が悪かった。それでも「今後のことを相談したい」と言ってもらえた。できれば生前にお会いしたかった。

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