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「文化時報」コラム

〈65〉医療の求める宗教者

2024年2月8日

※文化時報2023年9月26日号の掲載記事です。

 NPO地域共生を支える医療・介護・市民全国ネットワークの全国大会が9月17、18日の2日間にわたり名古屋で開催された。鎌田實さんや上野千鶴子さんという超有名人に交じって、文化時報のコラム「傾聴―いのちの叫び―」を連載中の玉置妙憂さんの講演もあった。

 剃髪(ていはつ)に作務衣(さむえ)の姿から僧侶だとわかる。看護師でもあるので医療者に伝わりやすい言葉でお話をされる。全国各地の講演会にひっぱりだこなのもうなずける。

 「亡くなってから僧侶が登場するのではなく、お元気なうちから積極的な関わりを」とおっしゃっていた。筆者と同じ考えである。「そうしたいのはやまやまなんだが…」と思われる寺院関係者も多いと想像できる。「でも、相手(檀家さん)が嫌がるのだよね」という本音も聞こえるようだ。

 なぜ嫌がられるのだろうか? 答えは簡単。「お寺=葬式」だからである。大多数の人は、死を見ないようにしておきたい。遠く離れていたいのだろう。

 そこへ死を連想させる僧侶がやってくると「あっちへ行け」となる。この国の大多数の人は「鬼は外」、つまり自分にとって都合の悪いことを排除する思想を持っているのだろう。

 自分にとって都合が悪かろうが、嫌でもやってくるのが「老病死」である。それを受け入れていこうとするのが仏教なのではなかろうか?

 わが国は超高齢多死社会がどんどん加速していく。「老病死」を見ないようにしたくとも、それは無理になってきた。しっかりと現実を見つめる必要に迫られている。病院へ閉じ込めて見ないようにしてきた「老病死」を、家庭にも戻そうと政府が躍起になっている。医療だけでは手に負えないと医療関係者が一番よく分かっているであろう。

 名古屋での全国大会でも如実に表れていた。それが玉置さんの講演だったと思う。

 ちなみに筆者もカトリック教会関係者と一緒に登壇した。医療と宗教は手を結ぶ時代になっている。ただし、そのノウハウはキリスト教の方がたくさんお持ちかもしれない。

 わが国は「仏教国」なのだろうか? お彼岸にお墓参りをする人は多いのだが。

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