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「文化時報」コラム

〈5〉小さな箱が開くとき

2022年9月23日 | 2024年8月5日更新

 私たちは誰もが"スピリチュアルの小さな箱"を胸の奥底に持っています。普通に生活が回っているときには、手に取って眺めることはありません。必要がないのです。むしろスピリチュアルの小さな箱を毎日眺めているようでは、生きづらくて仕方ないでしょう。だから、通常は、潜在意識の底にしまい込んでいます。

傾聴ーいのちの叫び

 

 でも、あるきっかけがあると、その箱のふたが開くのです。

 きっかけは、三つあります。

 一つ目は、自分が命の限りを見なければならない事態になったとき。私たちは、誰に保証されたわけでもないのに、明日もあさっても、来年も再来年も、いや10年後も20年後も生きている気満々でいます。でもある日、「そうではないのだ」と気付かされたとき、スピリチュアルの小さな箱のふたが開くのです。

 二つ目は、自分ではなく、愛する人が、同じように命の限りを見なければならない状況に陥ったときです。ずっと一緒に生きていくと思ってばかりいたことが、「そうではなかったのだ」と気付いたとき、またしても小さな箱のふたが開きます。

 そして三つ目は、災害や事故など、人の命が一度にたくさん持っていかれてしまうような出来事が起きたときです。その凄惨(せいさん)な状況を目の当たりにして、人の命の泡沫(ほうまつ)夢幻なさまに気付かされたとき、やはり小さな箱のふたは開くのです。

 そして今、コロナ禍の時代においても、同様のことが起こっています。なぜなら、新型コロナウイルスは「死」の影をまとっているからです。「罹患(りかん)しても絶対に死ぬことはありません」というのであれば、私たちはここまで神経質にならずにいたでしょう。罹患したら死ぬかもしれないから、こういう状況になっているのです。

 スピリチュアルの小さな箱のふたがあちこちで開いてしまっている今、私たちはどうしたらよいのでしょうか。ご一緒に考えてまいりましょう。

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