2024年5月14日
※文化時報2024年2月13日号の掲載記事です。
文化時報の読者諸氏は寺院関係者が多いと思う。あすはバレンタインデー。チョコレートを渡したり受け取ったりしているのだろうか? 節分の日に巻き寿司(のり巻き)を丸かぶりする人は少ないような気はするが、チョコの受け渡しは案外しているのだろうと想像している。
筆者は「他宗教に由来するような風習には参加しない」なんてことは言わない。頂ける物はチョコだろうと何だろうと遠慮なく受け取る。そして、元来「ええカッコしい」なので、3月には百貨店へお返しの品を買いにいく。
チョコの代わりにビールをくれる人もいる。ハート形の豚まんをもらったこともある。チョコをもらうよりうれしいと同時に、なかなか商魂たくましいとも思う。
2月は、建国記念の日に天皇誕生日と国民の祝日が二つある。ただ、寂しいことに15日が涅槃会(ねはんえ)だとわかっている国民は少ないだろう。わが国の多くの人にとって、仏教は先祖供養の作法くらいの意識ではないかと思う。浄土真宗のご門徒さんも例外ではないだろう。
それを頭から否定するのがいいとは思わない。しかし「仏教の出番は葬式から」という意識が広がったままという状態を看過しているのもよくない気がする。
「なぜ私が病気になったのだろうか?」
「赤の他人に介護されるのは嫌だ」
そう思う人に仏教者は何を伝えればいいのだろうか? 医療や介護の専門職は、患者や利用者の嘆き苦しみに日々寄り添っているのではないだろうか? そこから福祉仏教が始まるように思う。
さて、明日は何個のチョコを頂けるのだろうか? 還暦前の既婚者に「愛の告白」をする人がいるはずもない。けれども「苦しい」という胸の内はぜひ聞かせてほしい。そんな告白なら一年中受け付けている。
それが法施、無畏施につながるならば告白は増えるだろう。そんな立派なことはできなくとも、一緒に悩むだけでいいのかもしれないが、ノーリアクションでは失礼かと思う。「告白はキリスト教の作法」―いや、そこまで垣根を作らなくてもなぁ。