2025年3月30日 | 2025年4月1日更新
札幌市で訪問治療院「健太郎治療院」を営む佐藤健太郎さん(52)は、身体障害を持つ高齢者を中心に、老人ホームでマンツーマンのリハビリとマッサージを行っている。これまで寝たきりで起き上がれなかったのが、佐藤さんとの出会いにより自ら歩行や食事ができるようになるなど、いい効果が見られる人は多い。「健太郎先生」と親しまれる佐藤さん自身も、利用者たちから生きる上で大切なことを学んだと話す。
「はい、立ちますよー。1、2、3、はい!」と元気な掛け声が室内に響く。90代の女性利用者が佐藤さんの腕にしがみ付き、必死に立とうとしている。
佐藤さんは日中、主に民間の老人ホームを訪問している。以前は個人宅に呼ばれていたが、今はほぼ施設に入居する高齢者に向けて仕事をするようになった。利用回数は多い人で週3回。佐藤さんと対面し体の機能回復に向けて地道な訓練に励む。
利用者の中には一度担当になると、10年ほどの付き合いになった人も。「例えるなら、利用者さんは『健太郎治療院』という一つのチームに所属する選手です」と佐藤さんは語る。
訓練を重ねても思わぬ体調不良や病気、けがで入院し、そのまま帰らない人もいる。退院しても施設内で寝たきりになったり、入院している間に本人の意欲が低下して認知症が進んだりと、以前のように動くのが困難になるケースをよく見てきた。
「入院すると、また一からリハビリを開始しなければなりません。『僕の大事な選手を返して』って気持ちになるほど、退院を待ち遠しく思います」。思いは、熱い。
佐藤さんは1972(昭和47)年生まれ。北海道釧路町で暮らし、同級生が自分を含め近所に3人ほどしかいない山の中で育った。
高校卒業後は心と体を鍛えようと陸上自衛隊へ入隊。厳しい訓練を受け、2年間の任期を終えた。「次は自分に合う仕事を見つけたい」と、48種類に及ぶアルバイトを経験したが、20代後半のころから不況で仕事が相次いでなくなり、人生の岐路に立たされた。
ある日、広告代理店で働く中年の事務員に肩もみをすると「佐藤君はマッサージ向いているよ」と褒められ、その言葉を頼りにあん摩マッサージ指圧師を目指した。
当時の北海道では視覚障害者だけが道内で資格を取得できるとされていて、健常者の場合は他県に行かなければならなかった。佐藤さんは妻の実家がある岐阜県に移住し、愛知県の専門学校まで片道2時間かけて通学。2007(平成19)年、国家試験に合格した。
ところが卒業を目前に、首の神経が圧迫されて運動障害などの症状が出る脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)を発症。一時は療養生活を送った。幸いにも回復したことで、この経験を生かして身体障害のある高齢者の訪問治療に挑戦しようと決意した。
自衛隊時代、体を鍛えることがいかに大切かを身に染みて知っていた佐藤さんは、高齢の利用者と真剣に向き合った。中でも70代男性のAさんのことは、今でも忘れられないという。
施設に入所していたAさんは「歩けるようになりたい」と佐藤さんに依頼してきた。現役時代は炭鉱で働いていて体力はあったが、左手足にまひがあり、車いすに乗っていた。
早速話し合いを重ねてプログラムを開始。熱心に歩行訓練を行うと、Aさんはみるみる回復し、周囲を驚かせた。
「次は階段を上り下りできるようになりたいと言われて、びっくりしました。災害時に自分で逃げられないと困ると思ったそうです」
手すりを使い、足をゆっくり上げながら階段を上っていくAさん。予想よりも順調に上り下りができるようになっていった。転倒しないよう見守りながら、佐藤さんは、諦めない気持ちや心の強さに圧倒されていた。
Aさんは車いすに、小さなほうきをぶら下げていた。雪の中通勤する職員たちのために、服に積もった雪を払ってあげるためだった。豪快な性格でいて、とても優しかった。
その後、Aさんは入院を余儀なくされた。佐藤さんは毎週お見舞いに行って明るく声を掛け、施設の職員が撮ったメッセージ動画を見せるなどして励まし続けたが、退院することなく亡くなった。
「だんだん弱っていく姿を見るのは、とても寂しかった。Aさんは僕にとって大先生でした。歩けるかもしれないという可能性を見せてくれたんです」
2011年に開業して今年で15年目。たくさんの高齢者や家族に会い、体の悩みを聞いてきた。全ての問題を解決できるわけではないが、今よりよくなることは確信している。そう断言できるのは、Aさんのおかげだと佐藤さんは言う。
「手が開かなかった人がリハビリをして、物をつかめるかもしれない。ほんの少しの動作でも、以前よりできるようになれたらいいですよね。これからもそのお手伝いができればと思います」
たった一人の利用者が背中で教えてくれた、人生において大切なこと。「今でも声を思い出すんですよね」と、佐藤さんは今日も前を向いて進む。