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インタビュー

橋渡しインタビュー

第二の人生は、焼き団子と母の終活 大森正善さん

2022年11月4日

 元小学校教諭の大森正善さん(64)が定年後に見つけたセカンドライフは、まちのお団子屋さんだった。住み慣れた自宅を建て直し、2021年5月に「焼きだんご もり善」(埼玉県所沢市)をオープン。店から徒歩数分の実家で、介護認定を受けた母、タケ子さん(94)と2人暮らしをしている。月1回ほど、今後の希望や葬式のことなどを話し合い、いざというときに備えている。

自宅にて。にこやかな大森さん親子
自宅にて。にこやかな大森さん親子

 新型コロナウイルスの感染が拡大する前、タケ子さんは女性専用ジムへ通うことを楽しみにしていたが、一昨年から通えなくなり、自宅にいる時間が増えた。その頃から調味料の置き場所を忘れたり、食器を元の場所へ戻せなくなったりするなど、普段と違う行動をとることが増えてきた。

 介護認定を受けたが、現在はデイサービスなどの利用はせず、日中は独居で過ごしている。

 小学校の先生としての経験が豊富な大森さんは、タケ子さんにきちんと役割を与え、困ったときには手助けをするようにしている。過去には、タケ子さんが家の中で保険証をなくしたと騒いで探し回ったことにいら立ったこともあったが、「怒ったところで改善するわけでもない」と、今は保管場所を常にチェックしている。

 現時点では、トイレや着替えなどに問題はない。家事は掃除、洗濯、食器洗いがタケ子さんの担当になっている。食事は大森さんが作る日が多いが、天ぷらやけんちん汁など昔から作り慣れているメニューは、忘れない限りタケ子さんが料理している。家事の動作の一つ一つが、良い脳トレやリハビリにつながっているという。

具だくさんのけんちん汁はおいしい
具だくさんのけんちん汁はおいしい

 足腰の運動になるからと、タケ子さんの寝室は昔のまま2階にある。階段は自力で上り下りし、洗濯物を運んではベランダで干している。

 大森さんが店を閉めた後、夕方に親子で近所のスーパーまで歩き、買い出しをするように心掛けている。「体のだるい日は行かないけど、手押し車があればどこへでも歩けます」とタケ子さん。玄関には、いつもシルバーカーがスタンバイしている。

歩き疲れたらシルバーカーに座ることもあると話す
歩き疲れたらシルバーカーに座ることもあると話す

 帰宅後は大森さんからレシートを受け取り、家計簿に記入する。60年以上続けてきた習慣だ。 「できる限り口を出さないように心掛けています」と、大森さんは母の姿を見守る。

 唯一心配なのは、転倒。以前、転んで両大腿骨を骨折し、人工の骨に替える手術をしたことがあった。庭先でつまずいたり、部屋でひっくり返って立てなくなったりして、大森さんが慌てて駆け寄ったこともあった。

揚げたての天ぷらを持ってにっこり
揚げたての天ぷらを持ってにっこり

最後までどう生き切り、どんな死を迎えたいか

 認知症が緩やかに進行する中、月に一度、大森さんはタケ子さんと終活について話し合っている。90代に入ってから、親子で前向きに死について話し合う時間を持つようになった。時には大森さんの姉も入り、家族で決めたことを共有する。

 きっかけは、2000年に亡くなった大森さんの父親の墓参りだった。家族で思い出話をしていると、タケ子さんが「私のときは大げさにしなくていいから」と口にした。

 大森さんの父親は3年ほど入退院を繰り返し、その間に2回手術を行った。家族で交代しながら病院で付き添い、タケ子さんも献身的に看病した。その経験があったからだろう。「私はあんなふうにチューブでつながれて生きていたくない」と、繰り返し発言する。

 父親を看取(みと)ったことで、大森さんもタケ子さんも、死を迎えることにあまり身構えなくなった。息子としてできる限りのことをしてあげたいと、あえて葬儀場選びや訃報を伝えたい人、祭壇に飾る仏花のことまでタケ子さんの思いを聞く。「母は忘れてしまうので、同じ質問をしながら今後のことを確認します。仏花は思っていたより金額が高めなものを選んでいますが…」と、大森さんは笑った。

 タケ子さんが、身内や親戚だけで葬式を行いたいという希望を口にすると、大森さんは、今も交流のあるタケ子さんの編み物講師時代の教え子や、近所の人たちにも訃報を伝えた方がいいのではないか、と提案した。「母が逝った後、必ずお弔いに来られる方もいると思います。その都度の対応は、私も仕事があるので難しい。お世話になった方々はお呼びしたいですし」。まだまだ議論を重ねている段階だ。

両手を上げ洗濯物を干すタケ子さん
両手を上げ洗濯物を干すタケ子さん

 ほかにも、延命治療はしないことや終末期は自宅で迎えたい、といった願いも聞いた。「1週間程は入院してもいいけど、最期には家に戻りたい」などと細かく話し合う理由は、タケ子さんの自己決定を尊重するためだけでなく、大森さん自身もいざというときにうろたえないためだ。
 
 できるだけタケ子さんの希望をかなえたいと考え、インターネットで情報を集めている。在宅の看取りにはいろいろなケースがあり、簡単ではないという現状も分かってきた。「あまり後ろ向きに捉えず、前向きに向き合う方がいいかもしれません」と、大森さんはほほえむ。

 タケ子さんも「息子がいてくれるおかげで暮らせます。1人なら今頃どうしていたか…」と、大森さんを頼りにしている。普段から、ごく自然に和気あいあいと会話をしている。

介護をしながらセカンドライフを楽しむ

 大森さんは、教職時代から定年後の身の振り方を考えていた。

 子どもの頃から、所沢名物の焼き団子が好物だった。今は昔と比べ店も数軒ほどに減っている。せっかくの名物をなくしたくない、という思いがあった。

近所の人々でにぎわう「焼きだんご もり善」
近所の人々でにぎわう「焼きだんご もり善」

 休みの日に、市内の福祉施設で働く栄養士にお願いして焼き団子の作り方を学び、焼いては近所に配って味見をしてもらった。意見をもらい、時間をかけて腕を磨き、商品として売れるレベルにまでなった。

 オープン後、退職の直前まで授業を持っていた教え子が、焼き団子を買いに来てくれた。それから次々と、他の教え子や保護者、かつての同僚たちが訪れてくれたことが、励みになった。中には30年前の教え子もいて、「教師冥利(みょうり)に尽きる」と感激した。

しょうゆも所沢の名物深井醤油で味付け
しょうゆも所沢の名物深井醤油で味付け

 焼き団子の店を始めたい、との相談に乗ってくれた姉とおいは、第二の人生を応援してくれるだけでなく、週3日、店でパンを売るようになった。「おいが店内でパンを焼き、姉が袋詰めをしています。店先にキッチンカーを置いて販売しています」。「焼きだんご もり善」は家族ぐるみの飲食店となった。
 
 パンを売り始めて、姉が実家に顔を出すようになり、タケ子さんも安心しているという。

食べ応えのある焼き団子
食べ応えのある焼き団子

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