2026年3月20日
下肢に障害がある選手が臀部(でんぶ=お尻)を床に着けたままプレーする座位バレーボール(シッティングバレーボール)。2024年7月、札幌市在住の風間みさよさん(33)はチーム「札幌シッティングバレーボールクラブ」(札幌SVC)を立ち上げた。不慮の事故で車いす生活となったが、過酷な試練を乗り越えた今、「生きていてよかった」と話す。(飯塚まりな)
風間さんは就労継続支援A型事業=用語解説=を利用し、平日は在宅で民泊の管理などを行っている。冬場は天候が厳しく、練習どころか買い物にすら出かけられないことが多いという。

1992(平成4)年生まれ。幼い頃はおとなしい性格だったが、成長するにつれ積極的な面が出るようになった。中学ではバレー部に所属し、将来は介護福祉士になる夢を持っていた。
だが高校卒業を控えた18歳のときに転落事故に遭い、第四腰椎を破裂骨折。両足が動かなくなった。リハビリをすれば元に戻れるかもしれないと望みを持っていたが、それはかなわなかった。
退院後は、自宅に戻らず一人暮らしを始めた。当初は移動支援のみを利用し、ヘルパーを入れず1人で家事をした。
精神的に追い詰められ、自分を責める日々が続いた。「退院後の1年半は泣きながら寝て、起きると泣いての繰り返しでした。とてもつらかった」と振り返る。

泣き腫らした日々が過ぎると、少しずつ「体を動かしたい」という気持ちが湧いてきた。インターネットで検索し、目に留まったのが座位バレーボールだった。
座位バレーボールは1956年、戦争で負傷した兵士たちのリハビリ目的で考案されたオランダ発祥のスポーツだ。ネットは通常より低く、選手たちは臀部を着けたまま全身の力を使ってコート内を動き回る。
「これならできるかもしれない」。競技用車いすなどをそろえずに始められるのも決め手となった。
2012(平成24)年、日本シッティングバレーボール協会に問い合わせたが、当時チームがあったのは12県のみで、北海道にはなかった。それでも本州で行われた練習に参加。中学時代に体験した団体競技の楽しさが、一気によみがえってきた。
ボールをつなぎ、勝ち負けを競うことで得られる快感や喜び。事故以来、またバレーができる日が来たことに、感慨深いものがあった。
「北海道でも、私と同じように座位バレーをやりたい人はいるはず」。チームを持つ目標ができた。障害のある人たちが楽しむパラスポーツに関心を持ち、他の競技にも参加して仲間との出会いを重ねていった。
それから12年後、念願の札幌SVCを設立した。ボールをそろえ、団体のホームページを作って会員制交流サイト(SNS)で情報を発信し、練習会場を予約する。全て風間さんが担っている。
現在、札幌SVCのメンバーは6人。このうち3人は、下肢に障害のある当事者だ。月に1〜2回ほど、札幌市内の高校の体育館を借りて練習している。

「健常者しかできないスポーツって、想像より少ないと思います」と風間さんは語った。
座位バレーはスピードと独自の技術を必要とするが、健常者とほぼ同等のルールで行うため、障害の有無に関係なく参加できる。
「座ったままのバレーはこれまでの動作と違う動きがあり、もどかしい。でも、だからこそ『次はどう動こうか』と考えるのが楽しいんです」
けがなく、楽しむことがチームのモットー。いつか北海道大会を開催することと、パラリンピックに出場する選手を輩出することが、風間さんの夢だ。
活動はバレーだけにとどまらない。精神科病院に入院する患者の権利擁護活動を目的とするNPO法人「どさんこコロ」(札幌市中央区)で電話相談員を行っている。7年前、風間さんが「何かボランティアをしたい」と探し、関わることになった。

体調に負担がかからないよう、調子がすぐれない時は早めに他の相談員に引き継ぐなど工夫しながら、週に1度、自宅で電話相談を受けている。
自分自身も十数年前から精神疾患を抱えており、以前は電話をかけて相談する側だったという。「当事者の方たちには自分の疾患も話しながら、寄り添うスタンスで電話相談を受けています。自分の経験が誰かの役に立てるならうれしいです」と話す。
現在は精神面の不調は落ち着き、服薬量も減って、比較的安定した日々を送っている。
「活動を通して、私は人のために動くことができるんだと気付きました。今は生きていてよかったと思えますし、障害があっても意外と楽しく生活ができることを伝えたいです」
【用語解説】就労継続支援A型事業
障害者総合支援法で定められた就労支援サービスの一つ。通常の事業所に雇用されることが困難な障害者や難病患者らに対し、雇用契約を結んで就労・生産活動の機会や場所を提供したり、就労に必要な能力向上訓練などの支援を行ったりしている。