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インタビュー

橋渡しインタビュー

義足のダンサー「身体は美しい」森田かずよさん

2023年11月25日

 大阪市の俳優・ダンサー森田かずよさん(46)は、先天性側彎(そくわん)症と二分脊椎症を患っている。小学校から普通学級で過ごし、18歳でダンスや演劇に興味を抱いた。大学受験では障害による進路の壁にぶつかり、現実の厳しさを目の当たりにしたものの、反骨精神でひたむきに「表現」と向き合い、今日まで踊り続けてきた。2021年東京パラリンピックの開会式でソロダンサーとして踊るほどに成長。「自分は何を感じ、何を後世に残すのか」。森田さんだからこそできる身体表現を追求している

指4本だと、気持ち悪い?

 森田さんはコンテンポラリーを中心に表現について日夜模索し、全身を使って踊っている。

女優・ダンサー 森田かずよさん ©藤本ツトム(copyright_Tsutomu Fujimoto)-1
女優・ダンサー 森田かずよさん ©藤本ツトム(copyright_Tsutomu Fujimoto)-1

 生まれつき右手の指は4本。左利きで、義足と車いすを使って生活をしている。

 現在は、オーディションを受けて演者になり舞台に立つことや、オファーをもらえばダンスを発表するなど、からだが許す限りどんなことにも挑んでいる。

 また、母親と立ち上げたNPO法人ピースポット・ワンフォーで、高齢者や障害者を含むあらゆる人たちに向けたダンスレッスンを提供。森田さんはフラダンスを中心に指導を行っている。

 練習に必須な基本の動きは、一度自分でステップを踏んでみる。自身で手本を示すことが難しいときは、生徒に映像で分かりやすく伝わるよう工夫し、動きを口頭で説明する。

 細かく丁寧な解説は生徒たちから「分かりやすい」「他では言われたことのないことを教えてもらえる」と好評だ。

 「緩やかな雰囲気なので、『一般のダンススクールに行きづらいけど、本当は踊りたい』と思う人たちが集まっているのかもしれません」と森田さん。

 また学校や障害者施設、劇場に出向き、フラダンス以外にコンテンポラリーダンスを元にしたワークショップを行うこともある。

 ワークショップで子供たちに教える機会では、握手の際に4本指の右手を出すと避ける子どももいた。しかし、そのような子に対しても森田さんは自分から話し掛けて質問する。

 「『4本は気持ち悪い?』と聞くと『うん』と返事をする子がいます。でも、『指が4本の私が気持ち悪いの?』と聞くと、悩んだり黙ってしまったりする子もいます。見慣れていないからショックを受けるのは当然。でも、みんな違いがあるのも普通。時間をかけて関係を築いて、からだに慣れてくれたらいいなと思っています」

障害者のパフォーマー「想定外」

 森田さんは1977年8月、大阪生まれ。一人っ子で、両親から惜しみない愛情を注がれて育った。

『表現』で社会とつながり、自分らしさを認めてもらえたという ©藤本ツトム(copyright_Tsutomu Fujimoto)-4
『表現』で社会とつながり、自分らしさを認めてもらえたという ©藤本ツトム(copyright_Tsutomu Fujimoto)-4

 障害のあるからだを持ったわが子を前に、研究者の母親は決して臆することなく、森田さんの障害について詳しく教えてくれた。

 「母は私に『森田かずよは森田かずよであって、森田かずよ以外の何者でもない』とよく言っていました。一人の人間としてちゃんと育てられ、おかげさまで私も自分を卑下することなく生きてこられました」

 重度の障害があっても普通学級で過ごし、小学校卒業と共に中高一貫の女子校に進学。クラスでいじめに遭い、半年ほど教室の外で弁当を食べていた時期もあった。

 しかし、つらい時こそ、楽しいことを探して、乗り越える技を身につけた。放送部に入部し、高校生にかわいがられながら何とか乗り越えた。

 そんな森田さんが女優・ダンサーになったきっかけは、18歳で見た宝塚歌劇に憧れたことだった。

 当時はインターネットが世の中に出回り始めた時期。情報量は少なく、障害者がダンサーとして活躍することなど皆無の時代だった。

 記念受験でもいいからとある美術大学を受験しようとしたが、大学側から「受験生のパフォーマーは想定していなかった」と言われて、受験を断念。それまでの人生の中で一番というほどのショックを受けた。

「障害のあるからだで踊ること」を研究のテーマとし、神戸大学で修士の学位を得た
「障害のあるからだで踊ること」を研究のテーマとし、神戸大学で修士の学位を得た

 その後、帝塚山大学経済学部に入学。この頃から演劇サークルにのめり込み、ジャズ、バレエ、タップなどあらゆるダンスに挑戦した。卒業後は奈良県の劇団で7年過ごし、フリーになった。

 メディアにも多数出演。国内だけでなくシンガポールでダンスを披露する機会をつかむなど、チャンスがあればちゅうちょせず挑んできた。

 2018年にはイギリスのメディアアーティストとコラボし、障害者アーティストによる活動を支援するアンリミテッドフェスティバルに参加。さまざまなアーティストと共演しながら、表現の幅を広げた。

 2021年の東京パラリンピック開会式には、ソロダンサーとして登場し、世界を魅了した。 オーディション合格後は、コロナ禍で人との接触が難しい中、振付師の森山開次氏と稽古に励んだ。一生忘れられない舞台になったという。

「人と違う」意味も問いながら

 今でこそ森田さんはダンサーだが「踊りたい」と口に出すには時間がかかり、勇気のいることだったという。

 「私のからだでは踊れないと思っていました。やはりダンスといえば、バレエなど整ったからだを持っている人でないと難しいと。でも、今の私はどんなからだでだって踊ることができることを知っています。それはダンスというものの奥深さや、人のからだの美しさや面白さに気がついたからかもしれません」

 障害とは何か。それぞれの違いの大きさではないか―と森田さんは考えており、作品の中では障害や違いを問うような表現をしたいと思っている。

「人と違う姿」の意味を考えることが多い
「人と違う姿」の意味を考えることが多い

 自分の気持ちにいつも正直に、正しいと思ったら突き進む。「演じたい」と思ったら、たとえ難関なオーディションでも挑む。そんな姿勢がダンサー人生を確立させた。

森田さんの踊りは、一つ一つの動きに強さや優しさ、はかなさのようなものを感じさせる。 「人間の身体は美しい」。そう思いながら、これからも義足の足を高々と天に上げ、踊り続ける。

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