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インタビュー

橋渡しインタビュー

認知症患者と共に、今を生きる 山本千代さん

2024年4月11日

 埼玉県入間市の看護師山本千代さん(59)は、認知症専門病院で働いている。訪問看護の現場で長年、地域で暮らす高齢者に寄り添った看護やケアを行っていた。プライベートでは30歳の時にがんを患っていた夫と結婚し、娘を出産。夫の緩和ケアを行い、その後はシングルマザーとして、仕事と育児の両立を続けた。看護師歴は35年。山本さんの下で学びたいと希望する新人看護師が現れるほど仕事ぶりに定評があり、常に「患者と共に生きる」という慈愛の精神を持っている。

24時間駆け付けるナース

 日本における訪問看護の歴史は新しい。1991(平成3)年に老人保健法の改正により老人訪問看護制度が始まり、翌92年には寝たきりの高齢者を対象に「老人訪問看護ステーション」からの訪問看護が行われるようになった。

 2000年の介護保険法施行に伴い、介護保険における訪問看護がスタート。当時、山本さんはがんで亡くなった夫を看取(みと)り、娘と実家へ戻ろうとしていた頃だった。

看護師の山本千代さん
看護師の山本千代さん

 04年から訪問看護師として、毎日車を走らせ高齢者の住まいへ向かうようになった。基本は一人で訪問し、担当患者の健康状態や療養生活の相談に乗った。

 時に家族にも言えない話を聞くことや、食事もままならない高齢者と膝を突き合わせ、24時間携帯が鳴ればいつでも対応した。

 「夜中に患者さんやご家族からの電話があり、呼吸が荒い、痰(たん)が絡んで苦しいなど聞けばすぐに駆け付けました。当時の私は一日でも長く、住み慣れた家で過ごせてもらえたらと思う気持ちが強かったですね」

 高齢者だけでなく、夫と子どもを残してがんになった若い女性の担当にもなった。最期は在宅で過ごすことを希望した。本人だけでなく、生き切った母親としての姿をわが子に見せたいという夫の願いもあったという。

 家族で看取ることを選ぶ場合、実際は看護師や介護士も入ることが多く、患者を中心に一つのチームとなって支え合い、最期を見送る。

 「訪問看護でうれしいのは、患者さんが家で亡くなることを選んで、病院から自宅に帰ってきたときの表情を見た瞬間です。すごく安心したお顔を見ると、心から良かったと思えます」

病院の壁、モニュメントの太陽が明るくほほえむ
病院の壁、モニュメントの太陽が明るくほほえむ

 看護師として、一人一人をゆっくりケアできることは、山本さんの喜びでもあり、誇りでもある。

若くして夫を看取り、娘を育てた

 1964年生まれ。学生時代はバレーボール部に所属。体育教諭を目指すも、膝に大けがをして入院。以降、激しい運動ができなくなった。

 絵が好きで美大を目指そうとしたが、仲の良かった友達が看護学校を目指すと聞き、一緒に通えるのならと安易な気持ちで進路変更したことが天職になった。初めて知る医療の世界では、愛情や博愛精神なくして真の看護師にはなれないことを悟ったという。

 大学病院で厳しい指導の下、3年間必死に働いた。その後、地方の医療現場も知りたいと、岐阜県の小さな診療所に転職した。

 28歳で、一回り年上の夫と出会った。すでに大腸がんを患っており、余命宣告2年と言われていたが、2人で楽しく過ごそうと結婚を決意。子どもは望めないと医師に告げられたが、奇跡的に妊娠し、夫の両親と同居しながら、初めての子育てや夫と過ごせる貴重な時間に、幸せを感じていた。

 余命宣告から6年も長く生きた夫は、家族に見守られ静かに最期を迎えた。

 岐阜県を後にし、実家のある埼玉県で新しい生活を始めた。3歳になった娘の小さな手を握り、ひとりで育て上げると決めた。

 一時は課長職になり、帰宅時間が毎日遅くなった。忙しさのあまり、受験生になった娘の進路相談に乗れなかったことを、今でも後悔しているという。

 それでも、優しい母の姿を見て育った娘は2021年に結婚し、出産。幸せな家庭を築いた。

元気な男の子が生まれた
元気な男の子が生まれた

認知症は、痛みも生への執着も忘れさせてくれる

 認知症専門病棟の看護師として勤務している現在は、日々40人以上の高齢者と向き合い、医療的ケアだけでなく入浴や食事、排泄(はいせつ)介助を介護士と組んで行っている。

 昨年、新人看護師2人が山本さんから指導を受けたいと、自ら希望して配属されてきた。一般的にベテラン看護師が新人に直属で教えることはないというが、山本さんの看護技術や患者への言葉遣い、ケアの仕方をそばで学びたいとのことだった。未来ある看護師たちのためにと快諾し、1年間丁寧に教えた。

 山本さんは常に、自分自身を患者と共に生活している一員だと考えている。看護しているという上からの目線ではなく、家族のように過ごしていきたいそうだ。

 「認知症の患者さんと接すると、いい意味で人は亡くなる前に子どもに返っていくのだと感じます。それが人間の性(さが)なのかもしれません。認知症にならず、長生きされる方もすごいですが、例え認知症でも素晴らしい生き方をされている方が大勢いらっしゃいます」

 認知症は症状が進むと、家族の顔すら忘れてしまうことがある。寂しく思うが、当の本人は体の痛みや生への執着をも忘れ、「今」を穏やかに生きている。

職場では切磋琢磨(せっさたくま)する毎日(後列左から2人目)
職場では切磋琢磨(せっさたくま)する毎日(後列左から2人目)

 記憶が薄れていく姿を見て、認知症を「悪いこと」だと捉えすぎないでほしい、と山本さんは話していた。

 還暦を間近に、山本さんは残りの看護師生活をどう過ごすか考えている。体が動く限り、これからも高齢者に寄り添い、一日でも長く白衣の天使でいようと心に決めている。

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