2024年4月30日 | 2024年9月10日更新
家庭に事情を抱える子どもたちのための「子どもシェルター」をつくった坪井法律事務所の弁護士、坪井節子さん(70)。親に虐待を受け、養護施設に入った女児が一緒に暮らす子どもたちからいじめを受けて殺された―という実話を基にした本『和子6才いじめで死んだ 養護施設と子どもの人権』(倉岡小夜著、ひとなる書房)を読み、不思議な体験をしたことで、子どもたちのために立ち上がろうと覚悟を決めた。1992(平成4)年ごろのことだ。
その後、次々と虐待事件を引き受けた。95(平成7)年には千葉県の養護施設で起きた虐待事件「恩寵園事件」の弁護団に加わった。青あざを作るのが当たり前になるほど、暴力を受けてきた子どもたちの悲惨な声を聴き取り、事件をつまびらかにした。
坪井さんの元には、行き場のない子どもたちから絶えずSOSがあった。中にはやむを得ず自宅に呼び寄せた子もいた。
「でも私は3人の子どもを育てる母親でもありました。子どもに熱が出て家に上げられないときもあり、ある女の子が『大丈夫、友達の家に行くから』と、遠慮して来なくなりました。後で調べたら暴力団にだまされて、風俗店で働くことに…。こんなことではだめだと思って、どこか安全に暮らせる場所はないのかと思いました」
事態は一刻を争う。子どもシェルターの設置が、実現へと動きはじめた瞬間だった。
94年、日本は「子どもの権利条約」を批准した。
東京弁護士会では同年から、弁護士と子どもたちによる演劇「もがれた翼」を披露するようになった。いじめや虐待、少年犯罪をテーマに、これまで28回にわたって上演。大勢の観客が訪れ、反響が広がっている。
プロの演出家から指導を受け、弁護士たちが仕事の合間に稽古を重ねながら、大掛かりな舞台を作り上げてきた。
坪井さんは初回から携わった。髪を染めただけで退学処分を受けた女子高生が、「人権侵害」として訴えた事件を描いたPart1「なぜ退学なの」に続いて、坪井さん自身の転機となったPart2「和子6歳、いじめで死んだ」も舞台化。子どもの人権と児童養護施設の実態に迫った。
2002年、坪井さんはPart9「こちら、カリヨン子どもセンター」の脚本を手掛けた。物語では自殺未遂や集団リンチ事件に関与してしまった子どもたちが、助けを求めて駆け込む家、子どもシェルターが登場した。
上演後のアンケートには「日本にまだ子どもシェルターがないことに驚いた」「子どもシェルターを作るべきだ」「私も手伝いたい」「今すぐに紹介したい子どもがいる」など、多くの感想が寄せられた。
たくさんの賛同に後押しされ、坪井さんは周囲と協力しながら、公演の翌月に設立準備委員会を立ち上げた。
ゼロから議論を重ね、財源やシェルターの場所、生活指針、職員採用、子どもの相談窓口などを、一つ一つ決めていった。簡単に進まないことがいくつもあったが、夢は日に日に現実に近づいた。
04年6月、NPO法人カリヨン子どもセンターが設立され、念願の子どもシェルター「カリヨン子どもの家」を開設した。以降20年間、「子どもをひとりぼっちにしないこと」を掲げて活動を続けている。
08年には社会福祉法人として認可され、シェルターを出た子どもたちが暮らす自立援助ホームやデイケア事業などを展開。11年には子どもシェルター全国ネットワーク会議の運営も始まった。
子どもシェルターは全国に広がりつつあるが、今この瞬間もたった一人で問題を抱え、世の中への不信感を抱きながら生きている10代の青少年が大勢いる。
坪井さんは、子どもたちにこんなメッセージを送りたいという。
「親に裏切られ、とても傷ついたとしても、あなたのそばにいて一緒に考えようとしている大人がいることを知ってほしいのです。子どもシェルターにいる間、愛のシャワーを浴びてください。私たちはあなたを決して裏切りません」
カリヨンとは、世界で最も重い楽器の一つ。複数の音色を組み合わせた鐘からは、神聖な音が鳴り響き、平和の象徴とされている。
子どもの苦しみやつらさを目の当たりにし、社会に警鐘を鳴らし続ける坪井さん。子どもたちがそれぞれの個性や能力を発揮し、美しい音色を響かせる社会を、共につくることを目指している。