2024年7月27日 | 2024年9月11日更新
滋賀県甲賀市出身の手話シンガー・ソングライター、yokkoさん(41)は「sign! sing!! Smile!!!」(手話と歌で笑顔になろう)をテーマに、全国の学校や福祉施設などで講演ライブを行っている。20代で突然声が出なくなり、手話教室に通ったところ、ろう者の講師に「私は音楽が好き」と言われたことが活動を始めるきっかけとなった。「音楽は聞こえる人だけのものではない」。手話を使った音楽「手話うた」で多くの人たちを魅了している。
歌手歴15年、滋賀県では名の知れたシンガーのyokkoさん。保育園・幼稚園から小中学校、高校まで、人権をテーマにした講演ライブを引き受けている。手話の魅力を、大好きな音楽に乗せて表現し、依頼があれば全国どこへでも駆け付けている。
手話は聴覚障害者にとって大事なコミュニケーション方法の一つだが、ときに健常者の話す言葉とは違う意味合いで伝わってしまうことや、理解しにくい部分も多いという。
日本語はあいまいな表現が多いが、手話は英語に近いストレートな表現が一般的だ。「ろう者と会話をするときは、できるだけ理解しやすい言葉を選ぶ」とyokkoさんは話す。自身の歌詞も、手話では少し違う表現で伝えている。
「例えば『心に雨が降っても、いつかは虹がかかる』と歌っても、手話では『心に雨』が分かりにくい言い回し。それで『落ち込んだことがあっても、きっとまた明るく元気に過ごせる』のような表現に変換します」
そんな彼女の活動が注目されたきっかけは、2025年に滋賀県で開催される国民スポーツ大会・全国障害者スポーツ大会のイメージソングを担当したこと。滋賀県を挙げて盛り上げようと、ユーチューブでプロモーションビデオを発信している。
yokkoさんは1983(昭和58)年生まれ。5歳からピアノを弾き、進路は親に勧められるまま大阪音楽大学に進学し、ピアノを専攻した。
だが、本当はクラシックを弾きながら、バンドやポップスに憧れていた。yokkoさんは、自分の気持ちとは裏腹にピアノのレッスンに励んでいた。
19歳の冬、突然高熱を出し、何日もうなされた。病院に運ばれて即入院。原因不明の病は白血球の数を下げ、免疫力の低下により体を動かすことができなくなった。「このまま人生を終えることになったら…」とわが身を振り返った。
「ベッドの上で、これまでの私は自分のために何か真剣に頑張ったことがあったのかと考えて…。そうしたら、歌を歌いたいと思えたんです」
その後、病状は回復に向かった。卒業後はオーディションを受け、芸能事務所へ所属。先輩アーティストの前座で、弾き語りをしながらシンガーとして歌っていた。
ところが、またもや突然声が出なくなるというアクシデントが起きてしまった。
19歳のときの病と同じく、またもや原因不明の症状に悩まされた。精神的にも追い詰められる中、ふと思い出したことがあった。
「ライブ中のトークで、ファンに向けて『手は言葉以上に想(おも)いを伝えることができると思う』と話していたことがあったんです。声が出ないのなら、手話で表現しようと思いました」
ろう者の講師が運営する手話教室に通った。講義では一切声を出さず、手話だけで会話することを求められた。
幸い、病気は大事に至らず、声は徐々に出るようになった。安堵(あんど)しつつも受講は続け、最終日になって講師に「私は歌手です」と手話で伝えた。
すると「私、音楽が好きなの」と思わぬ返事が返ってきた。
「今までの私には、耳が聞こえない人が音楽を好きという概念がなくて、驚いてしまって。少しためらいましたが、勇気を出して『どうしてですか?』と質問しました」
講師は「音楽は全身を使って楽しむことができるから」と答えたという。
テレビで音楽番組を見れば字幕で歌詞の意味が分かり、歌い手の表情を見れば感情が伝わってくる。ステージの照明の色は、曲のテンポに合わせてムードを変える。リズムや振動、観客の様子などから、メロディーが聞こえなくても楽しむことができる。
「車を運転するときは、窓を閉めたままにする。体に伝わってくるビート音が面白くて好きだから」と、講師はほほえんだ。
yokkoさんにとっては衝撃的だったが、考えてみれば、耳が聞こえない人の中に音楽が好きな人がいてもおかしくない。「たくさんの人に自分の歌を聞いてほしい」と言いながら、聴覚障害のある人たちに届ける音楽のことを想像もしてこなかった自分に、はたと気付かされた。
「これからは手話を取り入れた音楽作りをやろう」。そう決意した。
ところが想像以上に観客の目は厳しく、ライブハウスの店長からも冷たい言葉を投げ掛けられた。
「どうして歌に手話を入れたのか意味が分からないと、さんざん言われました。それでも『手話うた』スタイルを変えませんでした」
いつかファンにも思いが伝わると信じ続けたyokkoさん。ライブハウスから教育現場へと活動の場は移っていったが、手話がなければ今の自分はいないと納得している。
yokkoさんは歌手であり、2児の母でもある。子育てをしながら音楽活動を精力的に行い、常に自分の好きなことで人の役に立てることはないかと、日々模索しているという。
「学校で講演ライブを聞いた子どもたちが、家に帰って『今日は手話を習ったよ』と話すようになればと思います。手話に関心を持ってもらうきっかけになることを願っています」
これからも優しい歌声となめらかな手話で、yokkoさんの思いは音楽好きな人たちの心に響くことだろう。