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インタビュー

橋渡しインタビュー

病気や障害のある子の幸せを写真に 安田一貴さん

2024年10月27日

 横浜市の安田一貴さん(38)は、病気や障害のある子どもを対象にした出張写真サービスを行っている。以前は理学療法士として病院で勤務し、患者のリハビリに当たっていたが、2011(平成23)年に国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊で派遣されたウズベキスタンで、病気を患った現地の子どもと母親をコンパクトカメラで撮影したことが、フォトグラファーに転身するきっかけとなった。

 安田さんが17年に立ち上げた「笑顔の向こうに繋がる未来プロジェクト」は、病気や障害のある子どもたちの出張写真サービスだ。

※アイキャッチ兼用※安田一貴さん(左)と妻の伸枝さん。伸枝さんは病気や障害のある子の保育を行う保育士で、プロジェクトの共同代表として参加している
安田一貴さん(左)と妻の伸枝さん。伸枝さんは病気や障害のある子の保育を行う保育士で、プロジェクトの共同代表として参加している

 子どもを抱きかかえてカメラにほほ笑む親子や、成人式の振り袖を着た車いすの女性と家族の写真などを撮影する。

 撮影中は和やかな雰囲気を出し、体調面に配慮しながら、安心安全を心掛けてシャッターを切る。

 家族以外に安心できる大人がいることは、子どもにとって大事なことだ。安田さんが子どもたちと上手に関われるフォトグラファーとして信頼されているのは、前職の経験があったからだといえる。

 理学療法士の頃には、小児がんの子どもたちのリハビリを担当。北欧を旅した際に知ったホスピタル・プレイ・スペシャリスト(HPS)という英国発祥の資格を、静岡短大で取得した。

 HPSは、遊びを使って病気や障害のある子どもたちを支援する専門職。医療スタッフと子どもをつなぎ、年齢に合わせて分かりやすく治療の説明を行うことや、手術や採血時に楽しく過ごす工夫をして不安を和らげるなどの役割を果たす。

兄弟の今を記録
兄弟の今を記録

ウズベキスタンで親子の写真を撮る

 安田さんは1986(昭和61)年生まれ。看護師の母親の影響もあり、高校の頃には理学療法士を目指して専門学校へ進んだ。  
 

 20歳の時、神奈川県が開催した学生向けの研修でベトナムへ渡り、21歳で自らカンボジアを視察した。

 ベトナム戦争の時代に、米軍が散布した枯れ葉剤の被害で生まれた結合双生児「ベトちゃん・ドクちゃん」に会う機会があった。授業で聞いたことはあったが、実際に姿を目の当たりにして衝撃を受け、戦争の悲惨さを痛感したという。

 「いかに、僕たちが当たり前にできているか。国が違うだけでこんなにも、普通に生活ができない国があると知り、当たり前はないことに気付かされたんです」

 その後、病院勤務を経て2年8カ月間を青年海外協力隊に志願し、ウズベキスタンへ渡った。小児病棟のスタッフとして、必死に活動した。言葉や文化も違う国で支えになったのは、入院している子どもたちの笑顔だった。

 
ウズベキスタンで触れ合った子どもたち
ウズベキスタンで触れ合った子どもたち

 「現地で写真を撮り始めました。元々カメラが趣味だったので、僕にできることは何かと考えて、子どもたちと母親が一緒に写っている写真を残してあげたいと思いました。生きている瞬間を、家族へ届けたいという一心で」

 カメラ自体が珍しい環境で、撮られる機会も少ない子どもたちは、興味深そうにしながら素直な表情を見せた。

 
 撮影から間もなく、天に旅立った子どもたちを何人も見た。わが子の写真を大切にしている母親たちの姿から、学んだことは大きかった。自分自身の生き方に、変化がもたらされた。

来年が当たり前に来るわけではない

 フォトグラファーになって7年。子どもたちを撮影する場所は自宅や病院のほか、外出先に同行することもある。条件が合えば、安田さんが運営し妻伸枝さんも勤める放課後等デイサービス「NPO法人laule’a 遊びリパーク リノアたまプラ」(横浜市青葉区)の施設を使っている。一緒に来た兄弟たちも楽しめるトランポリンや玩具があり、親子で安心して写真を撮ってもらえるというわけだ。

 必要に応じて美容師が同行し、着替えやヘアセット、メイクなどをしてもらって、非日常を楽しめる貴重な時間となっている。

おめかしして撮影へ
おめかしして撮影へ

 撮影に臨んだ家族たちからは「普段は子どもの介護に追われて、写真を撮るどころではなかった」「入院していて外出自体が難しい」「一般的な写真館に行った際に、上手く撮影できずトラウマになった」など、さまざまな声が上がった。

 だが、仕上がった写真は、そんな大変な状況を感じさせない。安田さんは言う。

 「来年も撮ろうと言っても、来年が当たり前に来ないご家庭をたくさん見てきました。場所に関係なく、どこにいてもクオリティーの高い写真を撮り、写真撮影そのものを体験して家族の思い出に残してもらえたらと思います」

幸せな瞬間にシャッターを押す
幸せな瞬間にシャッターを押す

 印象的な写真がある。小さな女の子と両親の写真だ。

 生まれた時から24時間看護が必要な子で、安田さんは親子水いらずの時間を、何度か撮影していた。

 その中に、女の子が亡くなった後に撮った写真があった。今、撮らなければ二度と撮れない家族写真。母親は悲しみを一切顔に出さず、家族の時間をいとおしそうに過ごしている表情を浮かべ、隣の父親も静かに見守っていた。

 「七五三の撮影を頼まれていたのですが、その前にお亡くなりになり、家族でご自宅に戻り最期の時を過ごされました。その瞬間を撮影してほしいと、依頼があったんです」

 母親は亡くなった日も、わが子の記録となる写真に笑顔を残そうと、優しいまなざしをカメラに向けた。覚悟と強さがにじみ出た写真だった。

 写真は思い出以上の真実を映し出す。

 安田さんの活動は、子どもが旅立った後も、残された家族の生きる希望になっている。「今後も全国の親子の幸せな記録を撮り続ける」。笑顔でそう語った。

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