2024年12月29日
※文化時報2024年10月22日号の掲載記事です。
浄土真宗本願寺派の子ども・若者ご縁づくり推進室は5日、宗門校の龍谷大学深草学舎(京都市伏見区)で、公開シンポジウム「思春期・若者の生きづらさや性の悩み~これまでとこれから」を開催した。精神科医の松本俊彦氏、公衆衛生医・泌尿器科医の岩室紳也氏、保健師の岩田歩子(あゆみ)氏を招き、性の悩みなどで生きづらさを抱える若者たちの現状や、大人ができることなどを話し合った。(松井里歩)
同推進室は2015(平成27)年から、性の問題を中心に、思春期・若者の生きづらさについて考える公開シンポジウムを開催。16年からは僧侶・寺院関係者を対象に「思春期・若者支援コーディネーター養成研修会」を実施。松本氏らは初期から活動に携わっている。
冒頭に本願寺派僧侶で子ども・若者ご縁づくり推進委員の古川潤哉氏がコーディネーターとして趣旨を説明。続いて松本氏、岩室氏が基調講演を行った。
岩田氏は、保健師の傍ら岡山大学大学院保健学研究科の博士課程に在籍しており、性的少数者=用語解説=の当事者として研究を進めていることを発表した。
4人が登壇したパネルディスカッションでは「お互いがフェアでいられる場所では安心して過ごせた」という岩田氏の経験をもとに話が展開。松本氏は「すぐに否定されず、安心・安全で関係の対称性があるのがフェアな場。例えるなら、1人だけがパンツを脱がされないような場所」と表現した。岩室氏は「LGBTQという定義は、異性愛者の自分がはじかれているようにも感じられる」と問題提起。自分も含めて多様性の一部だとして、それぞれの性的指向や性自認を指すSOGI(ソジ)という概念を共有した。
講演での発言要旨は次の通り。
薬物依存の若者に多く関わり、全国の精神科施設でも調査を行った。10年前はいわゆる不良少年の脱法ハーブ使用が多かったが、近年は高校在学中か卒業後の、表向きはいい子で通っている女性の市販薬摂取が多い。薬を使ってハイになるためではなく、トラウマやストレスなどのマイナスな状態を消すためとみられる。
過量服薬(オーバードーズ)をする子は、リストカットもしていることが多い。その二つをする子たちへのアンケートで、死にたい気持ちがあるのはリストカットのときが約40%、オーバードーズのときが約67%―という研究がある。
リストカットは目に見えるのでコントロールできるが、薬には結果が見えないという問題がある。若者風に言うと「ワンチャン死ねたらラッキー」ということだろう。
深刻な自殺行動をした人を分析してみると、ほとんどが市販薬を乱用していた。病院に通っていても、そうした患者は診察が難なく終わることが多い。市販薬なら主治医は把握できない。平日のルーティンをこなすために薬が必要なので、依存は根深い。フラッシュバックを止めたくて薬で対処していることも多く、やめさせるのではなく、害を減らしたり、生存確認を行ったりする声掛けが必要だ。
これまで学校では「命を大切にしましょう」という生命尊重教育が行われてきたが、2017年からはSOSの出し方教育に変わっている。しかし、本当に届いてほしい子は学校に来ていないし、「死ねたらラッキー」と思っている人に「ダメ、絶対」と脅しても逆効果。安心して失敗を語れる場所がなくなってきている。恥ずかしながら、私が担当している患者も5人亡くしてしまった。1人は市販薬のオーバードーズ、4人は、服用をやめている期間に苦しくなって自殺してしまった。
支援者にSOSを出さないことも、自傷行為の一つだ。「あなたなら変われる」といった声掛けは、「今の自分じゃだめなんだ」と思わせてしまうことになるため、生きていてよかったと全てを肯定し、相反する気持ちに共感する「両価性の共感」を行う。そして、服薬しなかった日は「なぜしなかったのか」などをモニタリングし、変化を支持する必要がある。
大人たちは、若者が性に奔放になっているとか、正しい知識を伝える性教育が必要だとか考えがちだが、それは勘違いだ。
例えば、特定の恋人と付き合わずに異性と性行為をする、いわゆるワンナイトをしてしまう背景には、自己肯定感の低さがあり、それが生きづらさにつながっている。
10年以上前、若者たちが抱える生きづらさについて自由に書いてもらった。「居場所がない」「コミュニケーション能力が低い」「自分の弱さを見せられない」などの悩みが挙がった。
大人は解決したい課題があると、早期発見と、原因に対する個別指導で予防しようとする。だが、課題の根っこの対策やリスク対策という視点が必要だ。
課題の根っこにあるのはネットや友達ではなく、誰もが抱え得るうつ病や家庭の不和などのリスクだ。新型コロナウイルス感染症の対策を指揮した尾身茂氏の「健康づくりの一番の課題は関係性の喪失であり、最優先目標は関係性の構築」という言葉には、非常に共感している。
昔の私は、エイズの予防はノーセックスかコンドームの着用だという正解を押しつけていた。
しかし、このような「正解依存症」で傷つく人がいる。私は性も自殺も同じ問題として考えている。正解は大事だが、相談せずに死んでしまう人々がいる中で、なぜ死ぬしかなかったのかを考えるべきだ。
講演会のアンケートで、若者らが求める心の性教育について見てみると、事例や当事者の体験談などは頭に残りやすく、悪者がいる話は聞きたくないという結果になった。面と向かって声を出して言葉を交わす、対話的な学びが必要だ。
大切なのは関わり、つながり、支え続ける環境と複数の居場所だ。心理学者マズローの欲求5段階説は、そのまま人が必要としていることでもある。下から3段階目の、人から大切にし、される部分が満たされて初めてその上の段階に行ける。
大人の後ろ姿を見て子どもは育つ。性の問題も、家族で一緒にテレビを見ている時に学んでいく。目から入る情報は、コミュニケーションではない。ただ情報や教育を与えるだけでは知識が増えるだけ。生きる力が育つために必要なのは、対話やコミュニケーションだ。
私は20年前にLGBTQだと自覚したが、生きづらいと思ったことはあまりない。むしろ、生きづらさを押し付けないでほしかったという気持ちがある。
講演などでそう話すと「恵まれていたから」「岩田さんが強かった」といったコメントをもらうが、セクシュアリティー以外の生きづらさは自分にもあった。人は生きづらさに何歳で気付き解消するか、ではないかと思っている。
中学生の時、英語の授業でバイセクシャル(両性愛者)なのかと先生に尋ねられ、なんとなくネタにされたような、嫌な気持ちになった。中学3年生以降は女の子と交際し、恋愛をしてきた。高校まではオタク趣味の友達と関わることが多かったため、カミングアウトしてもそれなりに受け入れてくれた。
しかし「レズはやめとけ」と、彼女の親友が彼女を諭していた場面に遭遇したこともある。周囲は複雑な心境だったのかもしれない。
専門学校でカミングアウトした時には、セックスについて聞かれるだけで、アンフェアな思いを持った。大学では、LGBTQだけが入れるバーに通い、大学院ではサークルにも入った。全員が当事者だったので、お互いの下ネタで笑えるような関係がフェアだと感じた。
2018年には、トランスジェンダーの男性と結婚した。お互いの家族は、誰かと一緒に生きてくれるならそれでいいというスタンスだった。
そこで、大学院では「トランス男性とそのパートナーの結婚・子どもを持つこと・セクシュアリティーについて」というテーマで研究している。アンケートを取ると、トランス男性でも、自分で産んだ子どもがいる、または産みたいという人が少なからずいることなどが分かった。
私が自覚した20年前と比べて、LGBTQの概念が広がり、自分の特性を知りやすくなった。また、パートナーや他の当事者を探すことも、会員制交流サイト(SNS)の発達で容易になった。当事者が結婚することや子どもを持つことは可能になってきているが、まだ当たり前にできる状態ではなく、当事者の考え方も多様化している。
今後はLGBTQの老いや墓が注目されることになるだろうと考えている。
【用語解説】性的少数者
性的指向や性自認のありようが、多数派とは異なる人々。このうちレズビアン(女性の同性愛者)、ゲイ(男性の同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(身体の性に違和感を持つ人)の英語の頭文字を取ったのがLGBTで、クエスチョニング(探している人)を加えてLGBTQと呼ばれることがある。