2023年5月22日 | 2024年7月18日更新
ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない
――劇作家、寺山修司(1935~83)
1970年代に空前の競馬ブームを巻き起こした競走馬がいました。ハイセイコーです。
72(昭和47)年に地方の大井競馬でデビュー後、無傷の6連勝で中央へ移籍。「地方競馬の怪物」との前評判通り、73年のGⅠ皐月賞を快勝すると、人気は競馬界にとどまらず、大きな社会現象となりました。地方からはい上がり、次々とエリートたちを倒していく姿が、多くの人々に夢と希望を与えたのです。
そんなハイセイコーが74年の有馬記念を最後に引退した際、寺山修司が作った「さらばハイセイコー」という詩の一節が、今回の「生きることば」です。
この詩では、「ふりむくと〇〇が立っている」と、ハイセイコーに思い出がある名もなき市井の人々を順番に紹介していきます。失業者、酒場の女、非行少年…。そして、クライマックスでこう畳み掛けます。
ふりむくな
ふりむくな
うしろには夢がない
ハイセイコーがいなくなっても
すべてのレースは終わるわけじゃない
人生という名の競馬場には
次のレースをまちかまえている百万頭の
名もないハイセイコーの群れが
朝焼けの中で
追い切りをしている地響きが聞こえてくる
「あらゆるものが変化し続ける」という仏教思想の諸行無常を思わせる作品といえるのではないでしょうか。
競馬評論を文芸の域にまで高めた寺山は、「競馬が人生の比喩なのではない。人生が競馬の比喩なのだ」という言葉も残しています。
当時の競馬ファンたちは、自らの人生とハイセイコーを重ね合わせていたのでしょう。無常は必ずしも「はかない」という意味ばかりではありません。今は悲しくても、いつか必ず喜びが訪れると信じて、寺山は「ふりむくな」というメッセージをハイセイコーに託したのかもしれません。