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「文化時報」コラム

〈62〉奉仕活動と経済基盤

2024年1月21日

※文化時報2023年8月8日号の掲載記事です。

 「犠牲なき献身こそ真の奉仕」というナイチンゲールが残した有名な言葉がある。クリミア戦争へ従軍した当時の看護婦は召し使い扱いであり、医療者の一員という現代の感覚ではなかったそうだ。そんな看護婦の地位向上に奔走したのがナイチンゲールであり、自己犠牲が前提では長続きしないことを見抜いていた。

 筆者が思う「福祉仏教」も自己犠牲では長続きしない。「葬式仏教」が現代でも根強いのは、寺院経営の経済基盤になっているからだ。しかし、社会状況の変化に伴い揺らいできている。だから福祉と葬儀の「二本柱」を作るのが良いという提言である。

 本紙7月28日号に「お寺に『福祉マンション』を」という大見出しが出ていた。お寺の資源を福祉事業に投資し、「福祉仏教」を実践しようという呼び掛けである。記事によると実際に計画しているお寺もあるようだ。

 「そんな土地なんてウチにはないよ」というお寺もあるだろう。資源は土地だけではない。住職自身が社会資源そのものではないだろうか? 福祉事業に関わる際に一方的な自己犠牲では疲弊するばかりである。「ウィンウィン」でなければ続かない。最も始めやすいのが、福祉施設などへの「出張法要」である。

 「法要をするからお布施(対価)をよこせ」では受け入れられないとは思う。そういう直接的なことではなく、「出張法要」をすることで「仏事相談」がされやすくなる。筆者の経験では、仏事のことで尋ねたいことは多くの人が持っている。そうして関係を深めていけば、葬儀へとつながっていく。もちろん関係を深めるのは施設へ入所している本人だけでない。ご家族へのアプロ―チも大事だ。

 「布教は一切しません」と言った方がカッコいいだろう。でも、それでは長続きしないのではなかろうか。本人や家族が「あのお坊さんに葬儀を頼もう」と言ってくれるよう頑張った方が長続きする。ナイチンゲールの功績をもう一度振り返りたい。それは看護婦だけの話ではない。

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