2025年2月7日
埼玉県行田市の保育士、吉本麗奈さん(25)は2024年1月から児童発達支援・放課後等デイサービスの「ぷりんしぱる」で勤務している。ぷりんしぱる(principal)は英語で「主役」の意味。どんな障害や特性があっても、子どもは皆が主役であるという意味が込められている。どのような思いで子どもたちの支援に当たっているのか。
ぷりんしぱるは、児童発達支援で0歳児から未就学児を受け入れ、放課後等デイサービスには18歳までの児童や生徒らが通所している。どちらも1日の定員は10人ほどだ。現在は同県鴻巣市と行田市で三つの事業所を運営しており、保育士や作業療法士などの資格を保有したスタッフが子どもの健康をサポートしている。
吉本さんは入職して1年。当初は子どもたちとの関わり方に戸惑っていたが、他のスタッフの動きを参考にしながら、徐々に接することに慣れていった。人の名前を覚えることが苦手な子どもも「今日もれいなさんがいるんだ!」とはしゃぐようになり、そんな姿をいとおしく感じていた。
ぷりんしぱるの特徴は、体の基礎づくりにさまざまな運動を取り入れ、独自の発達基礎プログラミングを設けている点だ。整体・言語療育・食育・運動療法・脳トレの五つを組み合わせた療育プランで、子どもたちを支えている。
この発達基礎プログラミングでは、妊娠5週〜生後2年までに見られる「原始反射」に焦点を当て、呼吸・感覚・動作にアプローチする。
原始反射とは、本能的な動作のこと。本来は成長とともに徐々に脳内で統合され、自分の意思で体を動かせるようになる。だが、統合されない場合は感情をうまくコントロールできず、学習や運動の面で生きづらさを感じる原因になる。未熟な感覚機能を伸ばすために「感覚統合遊び」で子どもの発達を促す。
感覚統合遊びの例としては、足裏などを指で軽くトントンと刺激することや、でこぼこしたおもちゃに触れるなどの方法がある。「元気に遊ぶことで、子どもたちは自然と気持ちのいい感覚を身に付けられます」と吉本さんは語る。
中には感覚過敏で水筒の飲み口を口に当てることが難しい子どももいたが、プログラムの成果で順調に克服できた。成長の喜びを子どもの家族や他のスタッフと共有できるのも、この仕事のうれしいところだ。
一方、重度の障害がある子どもの対応には、たびたび悩まされる。気に入らないことがあるのか、突然つばを吐く子どもに注意すると、その後はわざと尿を漏らすなど、想像しない行動に直面したこともある。子どもの行動には意味があるが、何に対して不満や困り事があるのかを考えるのはとても難しい。だが、支援には重要なことだと捉え丁寧な対応を行う。
発語が難しく気持ちをうまく伝えられない子も多い。できるだけ親身に接するが、正解はなく、日々模索しながら地道に経験を積むしかない。変わらないことは、子どもたちの将来が幸せなものであってほしいと願う気持ちだけだ。
吉本さんは1999(平成11)年生まれ。川口短期大学こども学科で保育士・幼稚園教諭の資格を取得した。障害者支援にも興味があったため、卒業後は保育の現場ではなく、社会福祉法人が経営する成人障害者の施設で支援員になった。利用者の年齢層は青年から高齢者まで幅広く、施設内で終末期を迎える障害者もいた。
印象に残っているのは、入居していた80代女性との関わりだった。知的障害はあったが身の回りのことを自分で行い、洗濯、着替え、食事、入浴など生活に必要な動作の基礎ができていた。
認知症が進行していたが、女性との会話はいつも楽しかった。しかし彼女を訪ねてくる親族はいなかった。
「本人の話では、幼い頃から他の子どもたちとお寺で暮らしていたと話していました。親に育てられず、心細い思いをしただろうと想像します」
施設で働いて知ったのは、複雑な生い立ちの人がたくさんいたことだった。愛情あふれる家庭で育てられず、当事者の気持ちとは関係なしに施設入居に至る場合も少なくない。本来は家庭内で身に付けるマナーや教育、栄養バランスなどがおろそかのまま成人したことで、施設内でも生きづらさを感じている人たちを何人も見てきた。
「今の時代にある療育を彼らもしっかり受けられていたら、もう少し集団の中で心地いい生活を送れたのではないか」と、思うこともあった。幼少期の生活がその後の人生に大きく影響すると強く感じ、短大で取得した保育の資格を生かすために、発達支援に力を入れているぷりんしぱるへ転職した。
今は障害のある子どもの支援について積極的に学びたいと外部研修に参加したり、業務の効率化を提案したりと自発的に動いている。
「私たちは子どもたちの将来を担う大事な仕事をしています」と話す吉本さん。一人一人の特性を知り、手遊び一つでも飽きがこないようにと、バリエーションを増やして楽しませている。
子どもたちは、いつかぷりんしぱるを去る。成人になって暮らす所が変わっても、周囲に愛され、穏やかに生きていってほしい―。そうなれるようにと強く願いながら、今日も熱い思いで子どもたちと向き合っている。