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インタビュー

橋渡しインタビュー

母娘で幾多の困難を乗り越える 塚本明里さん

2023年7月27日

 岐阜県可児市の車いすタレント・モデル、塚本明里さん(33)は17年前に突然倒れ、病院に運ばれた。全身に痛みを感じ、検査を繰り返して1年半後、筋痛性脳脊髄炎=用語解説=と線維筋痛症、7年後には脳脊髄液減少症であることが判明した。そんな明里さんを一番近くで支え続けるのが母、弥生さん(61)だ。明里さんは現在、治療を続けながらタレント活動をしており、母と娘の二人三脚で病気の啓発運動に尽力している。

美少女図鑑への応募が転機に

 塚本明里さんは、筋痛性脳脊髄炎を患いながらタレント・モデル活動を続けて約12年になる。

車いすタレント・モデルの塚本明里さん
車いすタレント・モデルの塚本明里さん

 2009年、全国で地元の美少女を取り上げる地域密着型メディア『岐阜美少女図鑑』に応募したのをきっかけに、タレント・モデル活動をスタートさせた。

 病気になる前から『美少女図鑑』の読者だった明里さんは、一般のモデルたちがカメラマンに撮影してもらえることにあこがれ「私もかわいくなりたい」と、一歩を踏み出した。

 周囲から声をかけられるようになり、地域活性化やまちづくり活動に参加。付き添いの弥生さんもいつしか裏方に回り、親子で社会とのつながりを持つようになった。

 12年には自身で筋痛性脳脊髄炎の患者会「笑顔の花びら集めたい」を発足。慢性疲労と誤解され、多くの患者が偏見を受けていることを訴えるなど、病気への正しい理解を求めて活動している。

 明里さんの好奇心はそれだけにとどまらず、「やってみたい」と思えばチャンスを逃さない。

 モットーは「できないことの数を数えず、今できることの数を数える」。いつしか心の中でこの言葉が生まれたという。現在はラジオ出演やモデル活動など、体調を見ながらマルチに活躍している。

ラッピングトラックの前でにっこり
ラッピングトラックの前でにっこり

 昨年は啓発活動の一環として、筋痛性脳脊髄炎の世界啓発デー(5月12日)に、明里さんの顔が載ったラッピングトラックが全国を走った。「彼女は誰?」と書かれた文字と笑顔の明里さん。何ともインパクトのあるトラックは、見た人が興味を持ち、検索して病気を知るきっかけになることを目的としている。

突然奪われた青春

 今でこそ明るく振る舞う明里さんだが、病気を発症したのは06年、高校2年の時だった。

 テスト中、突然教室で倒れた。高熱3日で治まったが、微熱や身体のこわばり・リンパ節の腫れ・全身痛・虚脱感などのありとあらゆる不調な症状が続いた。原因が分からず9カ所の病院を渡り歩いた。

 当時の日記には「全身を脱ぎたい」と記すほど、つらい経験だったという。極度の疲労感と倦怠感で起きることもできず、寝たきりの生活が始まった。

今でも具合が悪いと動けない日も多い
今でも具合が悪いと動けない日も多い

 発症1年半後、筋痛性脳脊髄炎と診断を受けた。他にも線維筋痛症、7年後には脳脊髄液減少症との病名がついた。

 高校卒業後は大学に進学したが、入学と同時に休学。あこがれのキャンパスライフは送れなかった。「周りは新しい生活を送っているのに、私は取り残された気分で、当時が一番つらかった」

 自宅から1時間かけて通院するクリニックでは、全身40カ所に麻酔注射を行い、痛みを和らげている。脳神経外科で「ブラッド・パッチ」と呼ばれる髄液漏れを止める治療を行ったことで、痛みは以前よりましになった。週5回の通院が週2回になり、完全とはいかなくとも、効果は出ている。

娘をうつ病にはさせない

 一方、弥生さんは義父母の介護と明里さんの看病が同時期に重なり、落ち込む暇もなかったという。

明里さんと母の弥生さんはいつも仲良し
明里さんと母の弥生さんはいつも仲良し

 一つ心配だったことは、難病を患うと気分が落ち込みうつ病を発症させるケースが多いこと。娘が精神的に追い込まれないように気遣った。

 「『どんなことがあっても、明里を鬱病にさせない、この子の好奇心をなくさないようにしなくちゃ』って思いました」

 弥生さんは子どもの頃から体の弱い父母に代わり、家事をするのが当たり前で、家族で遊びに行くことは難しい環境だった。

 こんなこともあった。5歳くらいの頃、近所の友達に、脳に障害のある子がいた。ある日、友達の家族からプールに行こうと誘われ、喜んで出かけた。後日、近所の大人からは「よくあの子と出かけたね」と言われたという。

 子どもながらに大人の発言に偏見や差別を感じ、おかしいと気が付いていた。
 
 「たとえ寝たきりの病気や障害があっても、人には役目があります。みんな生きているのは同じ。お互いに実りのある生活を送ってほしいです」

 弥生さんは今、難病を抱えながらも活発に啓発運動をする明里さんを誇りに思っている。大事なことならひるまずに活動してほしい―。そんな思いを娘に託している。

これからも親子で

親子でたくさんの人との出会いがあった
親子でたくさんの人との出会いがあった

 明里さんの活動は、弥生さんや家族そして病気を理解してくれた仲間の協力がなければ、ここまで来られなかった。どんな病気や障害であれ、身近な人に理解を得られないことが一番つらいことだと、明里さんは思っている。

 「今も孤独に病気と闘っている人がいます。私が行う活動は、自分だけが楽しくてやっているわけではありません。病気を理解してほしい、1人で病と立ち向かっている人たちがいることを知ってもらいたいのです」

 17年の闘病生活は決して平坦ではなく、困難な状況に何度も遭ったが、明里さんは気持ちの強さと行動力で自分の居場所を手に入れた。これからも母と娘が手を取り合い、ピンクの車いすを押しながら共に活動する姿を見て、励まされる人が大勢いることだろう。

【用語解説】筋痛性脳脊髄炎

 全身倦怠感や微熱、頭痛、筋力低下、思考力・集中力低下などが休養しても回復せず、6カ月以上の長期にわたって続く病気。現段階では治療法が確定していない。かつては慢性疲労症候群と呼ばれていた。

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