2024年1月23日 | 2024年7月8日更新
福島県須賀川市出身の松川力也さん(24)は、中学生の時に脳動静脈奇形で左半身まひになった。決死のリハビリとひたむきな努力で、高校卒業後は言語聴覚士の専門学校へ進み資格を取得した。総合病院と就労継続支援A 型事業所で勤めた経験を生かし、現在は3社の法人を経営。株式会社RESTAでは障害者に特化した、ビシネスに必要なオンラインスクールを立ち上げた。現在は松川さんを中心につながった全国にいるスタッフたちと共に事業を進めており、「障害者の第2の働き方を僕たちでつくる」と、社会を変える決意を語る。(飯塚まりな)
松川さんが立ち上げた株式会社RESTAは、障害者がキャリアについて学ぶオンラインスクールだ。ビジネスマナーやI Tリテラシー、社会で必要なコミュニケーションスキルを半年間で身に付けられる環境を提供している。
現在、20代後半〜50代の男女が学んでおり、最初に卒業後の目標を定めながら、履歴書の書き方など就労が未経験の人にも分かりやすいサポートを行っている。
受講生は体調に左右されやすいため、それぞれが自分のペースで学べる仕組みを整えている。ときどき進捗(しんちょく)状況を確認しながら、つまずいている部分や悩んでいることがあれば相談に乗り、アドバイスを行う。
スクール終了後は、就職やフリーランスとして活動を始める人が多くいる。中には松川さんのように起業する目標を立て、自分のキャリアアップを目指していく人もいる。
「今は企業に就職する人だけでなく、障害を持っても自分に合った働き方ができる時代です。障害者だからといって無料ということではなく、費用をいただくことで、教材や人材のレベルを上げて、より良い講座を提供することができます。中には弊社の業務の一部を担っていただく方もいます」
RESTAでの仕事内容は請求書やメール送信、関係者への連絡やデザイン、テレフォンアポインターなどさまざま。障害によって得意不得意があるため、話し合いながらどんな仕事ができるか見極めながら、割り振っている。
実際にオンラインスクールを卒業して、一般就職した受講生からは「お金が稼げるようになってうれしい」「仕事ができるようになって世界が広がった」など、喜びの声が寄せられているという。そうした声が何よりうれしいと、松川さんは話していた。
2013(平成25)年12月、自宅で兄と食事中に突然倒れた松川さん。左半身に力が入らず、食べ物が口の左側からこぼれ落ちた。当時14歳。中学3年の冬で、受験シーズンに突入していた。
運ばれて1週間は意識がなく、目が覚めた時には左半身まひが残り、感覚を失っていた。学校では野球部に所属していたという多感で活発な少年には、あまりにもショックな出来事だった。
「友達に会いたくない、弱った自分を見られたくない」と思ったが、徐々に部活やクラスメートが入院先の病院まで毎日やって来て、顔を見せてくれた。たわいもない話をし、笑顔になる瞬間もあって、次第に元気を取り戻していった。
一時はベッドの上で絶望の淵に立たされたが、1カ月後に迫る高校受験を前に「絶対に高校へ行きたい」と、人一倍リハビリに励み、外出許可をもらって車椅子で受験に挑んだ。
高校入学後から夏まで、病院と学校の往復だった。退院するまでに手術も3回受けた。痛みや葛藤と向き合いながら一つ一つを乗り越えていった。退院後は自宅から高校へ通い、卒業後には言語聴覚士になるため専門学校に進学した。
「15歳で言語聴覚士の仕事につこうと決めました。これまで病気になってからたくさんの医療従事者の方にお世話になり、自分も医療を通じて恩返しがしたかった。左手が動かなくても、僕にもできる可能性があると思いました」
「障害者が言語聴覚士にはなれないだろう」との周囲の声を耳にしながら、松川さんは資格を取得した。目の前に目標や夢があれば、どんなことでもつかみにいくのが松川さんの生き方だ。
でも、松川さんにとって言語聴覚士はゴールではなく通過点。職業の選択肢の一つであり、本来の思いはさらに別にあった。
18歳になる頃には自営業をする家族の影響もあり「起業したい」と夢を持ち始めた。専門学校卒業後、総合病院と就労継続支援A型で就労指導員として勤めた。
他にもI Tスキルを身につけ、起業に向けた準備を着々と進めていった。
「障害と生きる方が希望を持てる環境を作りたい」と、23歳で起業。今は一緒に働くスタッフは全国にいて、松川さんは東京と福島の2拠点生活を送りながら「趣味=仕事」と言ってしまうくらい毎日元気に働いている。
当事者だからこそ感じる苦悩や喜びを、松川さんは痛いほど経験している。だからこそ、自分自身がロールモデルとなり、将来に悩む障害者の仕事や生活の基盤作りを支えたいと思っていた。
「僕が病気になった時、将来が見えず不安になりました。結婚や年収について自分なりに調べるといい情報が少なかった。今、病気や障害で困っている人がいれば、僕をロールモデルにして、希望を生み出してほしいと思います。これからは障害があっても、世の中で活躍できる人を増やしていき、社会を変えていくのが夢なんです」
人にはみんな絶対に可能性がある。人生は一度きり。自分自身の力でいかようにも変えられることを、松川さんは身をもって知っている。
24歳。目の前の可能性を信じ、一つでも多くのことを成し遂げようとエネルギーに満ちあふれている。手を伸ばせば勢いよく引き上げてくれそうな雰囲気の松川さんに、期待したい人はきっと大勢いるだろう。