2022年9月18日 | 2022年9月27日更新
小児専門の補装具をオーダーメイドで作る株式会社ゆめ工房(京都市上京区)の社長、益川恒平さん(44)は、「人の役に立つ仕事がしたい」と考えて義肢装具士になった。家族経営の小さな会社で、障害のある子どもたちのために事業を行いつつ、今では会社のある地元の北野商店街の役員としても活動している。ただ、そこまでに至る道のりは、ずいぶんと遠回りだった。
1977(昭和52)年11月、上京区生まれ。地元の高校を卒業後、家出同然で各地を放浪した。日雇い労働で日銭を稼いでは、使い切る生活を送っていた。
だが、気ままな生活は、心を満たさなかった。それどころか、気持ちも生活も下降線をたどった。同世代が社会人として活躍している話は、いやでも耳にする。「これではダメだ」。たどり着いた富山県で、日本家屋や仏壇に用いられる欄間の伝統工芸を目の当たりにし、 「人のためになるものづくりがしたい」と思うようになった。
両親に謝って実家に戻り、仕事探しを始めた。母の知人である義肢装具士の仕事場を見学に行った時に、「これだ」とひらめいたという。
専門学校に通う学費を出してもらえないかと両親に頼んだが、両親は「これまで好き勝手やってきて、そんな甘い考えで続くはずがない」と、認めなかった。3カ月ほど頼み続けて、祖父母が後押ししてくれて、ようやく許しを得た。
通ったのは、自宅から往復5時間の距離にある兵庫県三田市の神戸医療福祉専門学校。3年間通い、2004年4月に補装具を制作販売する株式会社川端技術所(京都市上京区)に入社した。〝師匠〟となったのは、小児用補装具を専門とするベテランの職人だった。
心も生活も安定し、06年に結婚。2子をもうけたが、離婚してシングルファーザーになった。小学校のPTA活動に参加すると、父子家庭と知った他の役員たちが応援してくれた。地域活動に参画するうち、ボランティアで活動する多くの人たちと出会った。
周囲に助けられて、地域で生きている。でも、与えられ続けるだけでは、窮屈だ。自然と「地域のために何かできないか」と思うようになった。
ただ、企業の従業員として働いていると、活動の時間は限られてしまう。「障害のある子どもたちは、社会で一番弱い立場にある。そんな子どもたちのために何かをさせてもらうことが、自分がまず行うべきことだ」。独立して、再婚した由美子夫人と共に、小児専門の補装具を作る企業を設立した。
起業して3カ月たっても、顧客はないに等しい状態。1年目の決算は約500万円の赤字だった。「このまま続けるのは無理なんじゃないか」。そんな思いがよぎったが、障害者家族の相談に親身に乗るうちに信頼されるようになり、翌年度から徐々に業績は好転した。
益川さんは言う。
「僕一人で子どもを育てるのには、限界があった。僕の子どもの命は、みんなに生かされた。だからこそ、障害のある子どもたちのために行動することが、僕にとっては必要だった」
事業がようやく軌道に乗った今、益川さんは新たな展開を模索し始めた。北野商店街を、福祉に特化した街にするという。いったいどんな構想なのか。
>>ゆめ工房・益川恒平さん㊦につづく
益川恒平(ますかわ・こうへい)
1977年11月9日、京都市上京区生まれ。神戸医療福祉専門学校卒業。義肢装具士。株式会社ゆめ工房社長。