2024年8月16日
埼玉県飯能市の認定特定非営利活動法人ぬくもり福祉会「たんぽぽ」は1986(昭和61)年、公民館の婦人講座をきっかけに設立された。会長の桑山和子さん(84)を中心に、講座を受けた女性たちが後にヘルパーの資格を取得し、社会進出の場を手にした。現在はいくつもの介護施設や事業所を展開する法人へと事業を拡大。桑山さんは今年6月末をもって会長を辞任した。38年間の歩みと、次の世代に引き継ぐ思いを伺った。(飯塚まりな)
取材は今年5月、桑山さんが辞任する前に行った。場所は「リゾートたんぽぽ」と看板を掲げている本部。周囲は自然豊かな風景が広がり、介護現場には適した環境だ。
会長の桑山さん、次期会長の石川友仁さん(45)、経営管理部長の岡田尚平さん(69)の3人が集い、これまでの歩みを振り返った。
法人の前身は、婦人講座をきっかけにできた女性問題研究会「たんぽぽ」。桑山さんは当時46歳で、中学・高校の英語教諭から専業主婦になっていた。婦人講座の講師を引き受けたことから会長になったが、当初はさほど積極的ではなかったという。
しかし、一緒に会を立ち上げた主婦たちは自分たちの特技と空いている時間を活用し、訪問介護の先駆けとして、市民互助型で1時間800円の有償サービスを始めた。96(平成8)年のことだ。
子育て支援や配食サービスなども行い、99年には埼玉県第1号となるNPO法人格を取得。翌2000年には介護保険法施行に伴い、事業所としての活動が始まった。だが、制度ができても介護サービスを満足に提供する施設は少なく、桑山さんは当時の理事から土地を買い、施設を次々と建設した。
デイサービス、訪問介護を中心に一気に3事業所を立ち上げ、法人は急成長を遂げた。その一方、収入がない中での職員採用や、法律を学び、経営を安定させることは容易ではなかったと話す。
桑山さんは「とてもエネルギーがいる日々を送りましたが、いつも福祉の仕事に喜びを持っていました。私は決して一人ではなく、助け合える仲間がいたので怖くなかったです」と振り返る。
法人の理念は「困ったときはお互いさま」。営利目的ではなく、地域の人々と心を通い合わせ共に助け合おう、という桑山さんの思いが現在まで続いている。
介護サービスを利用する高齢者に対し、「自立支援」という言葉をよく耳にする。だが、実際の現場では利用者が何かしようと少しでも動けば、介護士から「危ない」と止められ、本人のやる気をなくさせてしまうことが多々ある。
「たんぽぽ」では、身体機能回復に努めた高齢者が介護サービスの利用をやめ、一般のボランティアへ移行したケースがいくつもあるという。デイサービスを「卒業」し、施設内での活動に参加するというわけだ。
06年に入職した次期会長の石川さんは、法人のデイサービス「田園倶楽部」の施設長として務めてきた。
「デイサービスを卒業された方と環境美化委員会をつくり、花の手入れや桑山会長の自宅の網戸を洗うなど、ユニークな活動をしています。これぞ、まさに本当の自立支援です」と、石川さんは語る。
石川さん自身は、介護保険外で利用者家族を含めてのバス旅行を計画するなど、思いついたアイデアは桑山さんに相談しながら何でも実行に移してきた。
取材中も「たんぽぽオリジナルT シャツを作って販売したい」と石川さんが告げると、桑山さんと岡田さんは「いいね、楽しそう」と乗り気の様子。何げない思いつきを否定されることなく、利用者と職員が幸せに過ごせることを何より大切にする姿勢を感じられた。
桑山さんのそばで長年支え続けてきた経理担当の岡田さんは、01年に「たんぽぽ」へ入職。それまで全く福祉現場を知らなかったという。
岡田さんは「入職してから、福祉は人を相手にするとても高度な職種と知りました。こんなにも感謝の言葉を直接もらえる素敵な仕事は、他にないと思います」
岡田さんのように異業種から転職してくる職員は少なくない。中には「たんぽぽ」で介護士になり、その後看護師や理学療法士を目指してキャリアアップした人もいた。
38年間、女性の社会進出を応援し、自ら実行してきた桑山さんは、職員も利用者もみんなで共に自立する道を模索してきた。これからも新しい時代をつくりながら、人工知能(AI)やロボットが簡単に踏み込めない「心を通い合わせる福祉文化」を継承していってほしいと願っている。
桑山さんは言う。
「『困ったときはお互いさま』の理念を大切にすれば、職員の方向性がぶれることはないでしょう。新しい明日が来ると思って、これからのレガシー(遺産)をつくっていってほしいです」
辞任後の予定を聞くと「ピアノかバイオリンでもやろうかしら」と声を弾ませた桑山さん。たんぽぽの綿毛になって、次の場所へ気持ちよく飛んでいきたいとほほ笑んでいた。