2022年9月11日
親は親でも〝親分〟の介護を経験した人がいます。任侠映画では決して描かれないけれども、まるで映画のような数々のシーンがあったそうです。関西で訪問介護をしていた男性の話。
「大豪邸でした。立派な庭園のある日本家屋で。幾つもの部屋を通らないと、親分のいる所までたどり着けないんです」
通されたのは、大政奉還のあった京都・二条城の大広間ほどもあろうかという和室。将軍の座る位置にベッドが置かれ、親分が横になっています。両脇にずらりと並ぶのは、組の幹部とおぼしき子分たち。総勢20人ほどはいたでしょうか。男性は「生きて帰れるか分からない」と覚悟しました。
「そんなに恐縮しなくていいですよ」と言われたものの、ミスしたらどうなるだろうか…と思うと、緊張しっぱなしだったという男性。沈黙の中、子分たちの視線を一身に浴びながら、親分のおむつを交換しました。
緊張はしていても、心掛けていたことがありました。「怖がってはいけない。怒っても、笑ってもいけない。いつも通り、淡々とすることが大事」。それが功を奏したのか、初日のケアは首尾よく終わり、週1回通うことになりました。
1カ月ほどたつと、親分のケアをしてくれる人だと認識されたのか、子分から「ありがとうございます」と言われるようになりました。ケアを見ることによって、子分からとげとげしさが取れたような感覚でした。「見張りから見守りへ変わったのを感じました」
どんな人が相手でも、人と人との交わりが介護である、と思い知りました。
それからさらに1カ月ほどが過ぎた頃、親分は息を引き取りました。
子分から、菓子折りを差し出されました。ケアを続けてきたことへのお礼でした。
もちろん、受け取るようなことがあってはなりません。かたくなに断りました。けれども、子分もメンツがあるから引けません。「それだけは絶対だめなんです」と繰り返してようやく、姐さん(親分の奥さん)が「ほんまに困ってはるんやから」と、間に入ってくれました。
受け取らずに済んだ菓子折り。高さが20センチはあろうかという、深底の大きな箱でした。いったい、お菓子の他に何が入っていたのか…。それを思うたびに、男性は今でも、背筋の凍る思いがするそうです。