検索ページへ 検索ページへ
メニュー
メニュー
TOP > 橋渡しインタビュー > ポジティブな在宅介護のこつ 高橋信彦さん

インタビュー

橋渡しインタビュー

ポジティブな在宅介護のこつ 高橋信彦さん

2022年11月17日

 元介護福祉士の高橋信彦さん(54)=埼玉県川越市=は、12年間働いた職場を離れ、両親を在宅で介護している。「悔いなく親孝行をしたい」と離職を決意し、「わが家を開放的な老人ホームのようにする」と目標を立てて、在宅介護の様子を発信。ケアラー同士での交流を積極的に行う。「今が幸せ!」と明るく話す高橋さん。どんな日常を送っているのだろうか。

母に話しかける高橋さん
母に話しかける高橋さん

住み慣れたわが家で最期を

 高橋さんは両親と兄の4人暮らし。昨年の正月までは歩いて初詣に行くほど、両親は元気だった。

 ところが1月中旬に母、嘉津美(かつみ)さん(87)が転倒し、右大腿(だいたい)頸部骨折の手術をした。その後、虫垂炎を起こし、リハビリ中に脳血管疾患で倒れた。食事を取れなくなり経管栄養を余儀なくされ、短期間に計4回の手術を行った。

 父信男さん(91)も肺の疾患による入退院を繰り返し、自宅で酸素ボンベを付けて生活する。目を離せない状態だ。

 両親の看病のため、介護休業制度で3カ月間職場を休み、今後のことを考えた。本来なら、両親を介護施設に入居させてもおかしくない状況。だが、高橋さんは介護現場に15年間身を置いた経験から「家で看取(みと)ってあげたい」と考えた。信男さんも嘉津美さんも「住み慣れたわが家で最期を迎えたい」と希望した。

入院していた頃とは別人のように元気な表情の信男さん
入院していた頃とは別人のように元気な表情の信男さん

 悩み抜いた末、職場に退職届を提出。現場のリーダーになり、職場改革をすると意気込んでいた矢先のことで、残念な気持ちが大きかった。職場を離れる寂しさだけでなく、収入が途絶えることへの不安もあった。

 それでも選んだ在宅介護の道。「私には子どもがいないからこそ、できるだけ両親の希望をかなえたいと思っています」と高橋さんは言う。

 今年1月から、両親がデイサービスへ通う日以外は、高橋さんが自宅で世話を行っている。訪問看護を利用しながら、介護福祉士の経験を生かした体のケアをする。特に嘉津美さんは、いつ痰が絡んでむせ込むか分からないため、注意が必要。リビングに両親が休むベッドを二つ置き、そのすぐそばで高橋さんも寝起きする。

結婚当初の信男さんと嘉津美さん
結婚当初の信男さんと嘉津美さん

人が一番欲しいものは「愛」

 高橋さんがここまで没頭する大きな背景として、幼少期から感じていた家族の不仲がある。一切の育児を嘉津美さんに任せきりだった信男さんのことを、高橋さん自身が良く思えず、寂しい思いをしてきた。

 サラリーマンの信男さんとエレクトーン講師の嘉津美さんの元で育った高橋さん。大学卒業後は東京・池袋の百貨店に就職し、婦人服の販売員になった。数年たち、流行ばかりを追い続ける人々の様子や、ひたすら物を売り続ける自分に「これでいいのか?」と疑問を持ち始めた。

 子どもの頃から旅に憧れ、大学生の時には日本一周をしたことがある高橋さん。思い切って、夢だった世界一周旅行に行くことを決意し、5年ほど勤めた百貨店を退職した。28歳から37歳までバックパッカーとして放浪したが、その旅の大きな目標は、学生時代に影響を受けたマザー・テレサに会うことだった。純粋な信仰心から、貧しい人々を助け続けたマザー・テレサに強く引かれていたのだという。

 残念ながら、出発の翌年にマザー・テレサは亡くなったが、インドへ渡った高橋さんはコルカタ(カルカッタ)の「死を待つ人の家」でボランティアを行った。その旅の先々で「家庭が一番大切だ」と話す外国人の多さに驚き、改めて故郷の両親のことを考えた。

 「これからは親孝行をしたい」。そう強く思うようになった。帰国後は、物ではなく人の心に寄り添うために、介護の仕事を選んだ。

 また、新しく就いた仕事と並行して、大事な故郷を盛り上げるため、地域活動にも参加してきた。そのおかげで、今ではご近所さんが様子を見に来てくれ、日々を支えてくれている。近くの大学から「在宅介護の様子を生徒に見せたい」と、教員が学生を連れて来ることもある。

 高橋さんは言う。

 「人が一番欲しがるものは、お金でも名誉でもなく、愛ではないかと思うのです。人間のスタートラインは、自分を生んでくれた親の愛情で始まると思うからです。惜しみなく愛を注いでくれた人には、できる限りのことを返したいと考えています」

高橋家親子
高橋家親子

今、この瞬間を楽しむ

 在宅介護は大変なことも多いが、両親と過ごす日々を楽しみ、周りの人々を巻き込んでハッピーな毎日にしたい―。

 そう考える高橋さんは、会員制交流サイト(SNS)で、積極的に在宅介護の情報を発信している。「スマイリーなエンディング」と題された投稿には、車椅子の嘉津美さんや、ピースサインをする信男さんが写っている。

 7月には自宅で信男さんのバースデーコンサートを開催。楽器演奏ができるボランティアに依頼して演奏会を開いた。音楽が大好きな嘉津美さんも耳を澄ませていた。

 「わが家を開放的な老人ホームにしたい」と話す高橋さん。在宅介護で狭くなりがちな視野を広げ、いろいろな人に両親の介護をしながら暮らす家に来てほしいと願っている。

コンサートの風景
コンサートの風景

 夜には高橋さんとその仲間が主催する「ケアラー誰でもオンラインサロン」で、全国の介護者とリモートで会話する。介護の相談や情報共有はもちろん、気持ちを分かち合う仲間の存在に励まされている。

 高橋家の在宅介護が良い見本になれば、と考えている。「在宅介護を考えている方は、いつでもわが家に見学に来てください」と顔を輝かせる高橋さん。両親を看取った後は、自宅をシェアハウスや子ども食堂で使ってほしいとも思っているという。

 

おすすめ記事

同じカテゴリの最新記事

error: コンテンツは保護されています