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インタビュー

橋渡しインタビュー

障害の受け入れが、次へのステップ 山川早苗さん

2022年11月25日

 1945(昭和20)年の終戦4日前に生まれた山川早苗さん(77)。生まれつき脳性まひを患い、現在は埼玉県狭山市で妹夫婦と同居している。38歳で電動車いすに乗り、市民団体に入会して地域活動に参加。2年目には代表を務めた。87年には障害者団体の枠を超えた「狭山市障害者団体連絡会」を立ち上げた1人として名を連ね、大勢の障害者やその家族との関わりを築いてきた。どんなときも明るく、時に冷静な目で周りを見ながら生きてきたという。

 狭山市生まれで、4姉妹の長女。いつまでも開かない手のひらを気にした母親に連れられ、東京大学医学部附属病院を受診した。脳性まひ。成長してからも1人で歩くことができず、乳母車や三輪車を押しながら生活を送ってきたという。

デイサービススポット「夢来夢来(むくむく)」で販売する手芸作品の前で
デイサービススポット「夢来夢来(むくむく)」で販売する手芸作品の前で

 「地面にかかとが着かないので、普通の靴では脱げてしまうんです。いつもげたか長靴でした」

 学校生活は小学5年生まで。通学に付き添ってくれた祖母が亡くなり、母親も産後で体調を崩したため、これ以上通うことが難しくなった。その後は自宅で大量の本を読むことによって学習を続け、世界文学全集などを開いては知識を増やしていった。

 大人になり、父親の紹介で花火の内職を手伝った。他にも機械編みを習い、助講師の資格を取得。「毛糸教室が建物の2階にあり、毎回父親がおぶって連れて行ってくれて、本当に恵まれていました。家族から差別されることもなかったです」と語る。

たとえ差別や偏見を感じても

 そんな山川さんに転機が訪れた。38歳の時、電動車いすでの生活を始めたことだ。バスや電車を活用することで行動範囲が広がり、もっと積極的に外へ出たいと考えるようになった。

 車いすでの社会参加を目的とした市民活動団体の一員になり、入会した次の年には代表に就任。市役所や社会福祉協議会との会議に積極的に出席するなど、地域の中で活躍する場面が増えていった。

 「移動手段が限られる障害者にとって、実際に通行困難な場所はどこなのか歩いて調べました。国道に横断歩道ができた時は、本当に助かりましたね」。熱心に市の職員に働き掛け、何度も話し合いながら、一つ一つ課題を解決していった。

 新しい公共施設が建つ際は、障害者サイドの要望を伝え、トイレやスロープなどバリアフリーの導入を仲間たちと共に請願した。

寄付で集まった毛糸で編み物をする山川さん
寄付で集まった毛糸で編み物をする山川さん

 87年には、聴覚、視覚、子どもの知的障害などさまざまな障害者の団体と一緒に「狭山市障害者団体連絡会」を設立した。障害によって困り事や求めるものは異なるが、障害の違いを超えた関係性をつくることに力を注いだ。会話が困難な障害を抱えた子どもの母親から「車いすでの移動中に感じる暑さや寒さの感覚は、どのようなものか」などと質問を受けることもあった。

 たとえ差別や偏見を感じても、常に客観視し、冷静に人と接してきた。学校へ行けなくなってから多くの本を読み、作者や登場人物の考え方をさまざまな角度から考察することから身に付いたのだという。

 「人にはいろいろな考えがあると思い、一歩引いて物事を見てきました。おかげで他の障害に対して偏った考えを持つことや、活動にのめり込み過ぎて周りが見えなくなったことはなかったですね」。だから、地域活動への参加も長続きできたのだと、半生を振り返った。

車いすのレバーに付ける人形がコミュニケーションのきっかけになることも
車いすのレバーに付ける人形がコミュニケーションのきっかけになることも

 年齢を重ねた現在は、以前のように活動の中心的な立場からは退いている。週3回の訪問入浴の他は、狭山市にある障害者作業所「在宅障害者デイサービススポット工房 夢来夢来(むくむく)」で、得意の編み物による手芸小物を作り販売。自分のペースでゆったりと過ごしている。

めいから「ママ」と呼ばれて

 「私が一番人間として成長できたと思ったのは、子育てができたこと」と、山川さんは話す。

 一緒に暮らす妹が結婚して3人の娘を産み、妹の子育てに自然と関わってきた。特に山川さんにとって、思い入れの強い子が、次女だった。ミルクをあげ、オムツ交換を行ううち、「ママ」と呼ばれるようになり、何でも話せる間柄になった。

 やがて子どもたちが成長すると、お風呂の介助を率先して行ってくれるようになった。長年、実の母親のように育児に参加できたことが、人生の中で最もうれしい出来事となった。子育てを受け入れてくれた妹にも心から感謝し、現在はそれぞれ家庭を持っためいたちとの関係も良好だという。

担当する同行ヘルパーさんと一緒に
担当する同行ヘルパーさんと一緒に

 多趣味な山川さんは、野球も漫画も大好きだ。埼玉西武ライオンズの本拠地、ベルーナドーム(埼玉県所沢市)までナイター観戦へ出かけたり、大ヒットした漫画「鬼滅の刃」を愛読したりと、幅広いジャンルを楽しんでいる。小学校時代の友人たちとは今でも連絡を取り合い、同窓会の幹事まで引き受けている。

 「体は障害でも心に障害はなかった」と笑顔で話す山川さん。「もし障害がなければ、世界中を飛び回るジャーナリストになりたかった」と、好奇心旺盛な姿はいくつになっても変わらない。
 
 山川さんは言う。

 「私は生まれつき障害者ですが、何らかの病気や事故で障害者になってしまう方もいます。でも、どんなことがあっても自分を受け入れ、自分を好きになるのが一番大事。受け入れることで、次のステップに進んでいけると思います」

 

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