2023年5月24日
介護付き有料老人ホームSOMPOケアラヴィーレ狭山(埼玉県狭山市)で、介護福祉士として働く市川美和さん(51)は、生まれつき右目の視力がなく、一時は看護師になる夢を諦めていた。高校卒業後は介護現場で働いていたが、30代後半で一念発起。准看護学校へ入学し、見事准看護師になった。今では介護と看護の知識を持ち合わせ、有能な人材として重宝されている。
小児科の看護師になるのが夢だった。高校在学中は熱心に勉強していたが、進路を決める際、先生から視力を理由に「看護師にはなれない」と言われ、自暴自棄になった。それでも「人の役に立つ仕事がしたい」と選んだのが、介護職。特別養護老人ホームで働き始めた。
施設で暮らす高齢者から、教わることはたくさんあった。
あるとき、他の職員から「中庭でお茶を飲み、歌う時間を作らないか」と声を掛けられ、一緒に取り組んだ。普段、室内ばかりで過ごす入居者にとって、施設の中庭に出るだけでも大きな行事。外の風に当たりながら歌うことで、いつも仏頂面の男性や表情がなかった女性が、みんな笑顔になった。レクリエーションの意義を強く感じたという。
徐々に介護職に希望を見いだすようになり、介護福祉士や介護支援専門員(ケアマネジャー)の資格を取得。着実にステップアップしていった。
看護師の資格要件を定めた「保健師助産師看護師法」(保助看法)では、かつて視覚障害が欠格事由とされていた。市川さんが進路を決める際に高校の先生から指摘されたのは、この法律のためだった。
ところが2001(平成13)年の法改正で、視覚障害があっても看護師になれるようになった。それを知った市川さんには、看護師になりたいという思いが沸々とよみがえった。
当時37歳。結婚もしていたが、迷っている時間はなかった。家族の反対を押し切り、働きながら准看護学校で2年間学んだ。どんなに忙しくても、途中で引き下がらなかった。
資格試験に合格し、40歳を目前にして看護師になる夢をかなえた。働き始めた病院では、希望していた小児科ではなく、それまでの職歴から高齢の患者を任された。
准看護学校を出たからといって、すぐに活躍できるわけではない。「注射が上手くなるまでには時間がかかるし、泣いている高齢の患者さんを押さえつけながら注射をするのは、つらいと思ってしまった」。介護職のときから、高齢者にはできるだけ楽しく、穏やかに過ごしてもらおうと考えてきたので、理想と現実のギャップを感じた。
病棟で介護士とレクをしながら笑顔で過ごす患者の姿が目に入ると、「私もあっち側の人間だったのにな」と、うらやましく思うこともあったという。
熱心に業務に打ち込み、精いっぱい働いたが、自分自身の技量が伴っていないと感じることもあり、5年半勤めて退職。再び介護職へ戻った。
周囲から「准看護師の資格があるのに、もったいない」と言われることもあるが、自分には介護職が肌に合っていると感じている。ケアマネジャーとして活動したこともあったが、現場で動き回る方が楽しいという。
てきぱき動く身のこなしや活気のある声掛けは、介護士のお手本のよう。耳の遠い人や認知症のある入居者にも、理解しやすく説明する。
今の職場で働くようになるまで、いくつかの施設や病院で働いてきたが、前職で認知症の人に特化した業務を行っていたことが、いい経験になっているという。
「集中力が切れやすく、徘徊を続けたり、気分を損ねてしまったりと、毎日いろんなことがあった。そこでどのように対応したらいいのか、ずいぶん鍛えさせてもらった」
現在の施設では、レクを担当。部屋にひきこもりがちな入居者を誘う時は「下でお茶でも飲みませんか?」とダイニングまで呼び、他の入居者と一緒に参加するような雰囲気をつくる。気が乗らない人には「おいしく夕飯を食べるために、体を動かしませんか?」と、メリットを話しながら明るく誘う。そうした工夫を怠らない。
夜勤日は看護師が常駐していないため、いざという時には看護の知識を活用できると考えているという。
介護と看護の両方で知識と技術を身に付けられたのは、視覚障害により夢を諦めた過去のおかげだ。想像と違った進路を受け入れ、与えられた仕事に励んだことで、唯一無二の職員になれた。
今の仕事が楽しいかと問われると、市川さんはほほ笑み、こう答えた。「介護職は楽しい。冗談を言いながら入居者さんとレクができるし、笑顔を引き出せるのが喜びになっている。自由にやらせてもらっています」