2023年11月9日
堺市のイラストレーターゆゆぱんちさん(24)は、生まれつき吃音(きつおん)がある。思いや考えをうまく言葉に出せず、子どもの頃から治したいとできる限りの努力を続けたが、学校生活や就職先でも苦労した。「吃音症は成長とともに治る人もいれば、治らない人もいる」。そんな現実を目の当たりにしながら、DTPデザイナーとして働く傍ら、イラストや漫画を描いて生計を立てている。「普通になりたいと思う自分をやめた」ことで、事態が改善したのだという。
吃音症は滑らかに言葉が出ない発話障害の一つで、音の繰り返しや引き伸ばし、間が空いてしまうなど三つの種類がある。日本では100万〜120万人ほどが吃音症であるとされ、幼児期から発症して成長とともに徐々に治っていくといわれているが、大人になっても治らない場合もある。
いまだはっきりした原因は分からず、完治する治療法は見つかっていない。「ゆっくり」「落ち着いてしゃべって」など言われると、ますますプレッシャーになり、話ができなくなってしまう。メンタルに影響を受け、社交不安症になる人もいる。
そんなゆゆぱんちさんが、大人になって自分のペースで働けるようになったのは、障害を理解する職場を見つけられたからだ。支えてくれる職場の同僚や家族、親身に寄り添ってくれる人たちの中に身を置けたことが大きい。
体調にもよるが、1対1の会話なら問題なく話せるようになった。週3日は派遣社員でDTPデザイナーとして働き、副業で漫画・イラストの依頼を受けながら安定した収入を得られている。
物心ついた時から、何か話そうとすれば「あ、あ、あー…」と言葉にならず、伝えたいことがうまく伝わらなかった。数えきれないほど、歯がゆい思いをしてきた。
子どもの頃から正義感が強く、本来であれば自分の意見を積極的に伝えるタイプの女の子だった。
関西という土地柄もあり、学校では子ども同士の会話でも「ボケ」と「ツッコミ」が多用される。ゆゆぱんちさんは自分の思った言葉が話せず、黙ってしまうことが多かった。「周囲からはつまらない子と思われていたでしょうね」と話す。
特に苦痛だったのは、国語の音読。自分の番が回ってくる恐怖が今でも忘れられない。読んだ後には同級生から話し方をまねされたり、からかわれたりした。
ある日、音読の授業を終えて泣きながら帰った。家に着くと、母親が買ってきた少女漫画が目に入った。平凡な主人公が大好きな歌で活躍し、周りも自分も幸せになるというストーリーに、一気にのめり込んだ。
「漫画を読んでいる間はつらい現実を忘れられ、読み終わった後はポジティブな自分になっていることに気が付きました。私自身も読んで楽しくなる漫画を描きたいと思い、将来の夢ができました」
夢を持った自分を励ましながら、学校生活を送っていたゆゆぱんちさん。吃音は成長とともになくなると聞いていたことから、当時のゆゆぱんちさんもいつかは治ると信じていた。
「吃音症は人前で話すと治る」という事例もあることから、勇気を出して、中学・高校では生徒会に立候補した。元々やりたいことがあれば率先して引き受ける性格であり、成績もそれなりに良かった。
だが、決して簡単なことではなく、人前に出れば緊張からパニックを起こして冷や汗をかいた。周囲からは「そんなんでよくやるよな」と嫌みを言われたという。
しかし、諦めず最後までやり切ったことで、生徒会活動での経験は現在も役に立っているという。
「今、自分なりにスムーズに会話をするコツをつかんで、話の切り方などを工夫しながら話せているのは、生徒会のおかげです。相手に伝わりやすくするにはどうしたらいいかなど、大人になってから経験を生かせていると思っています」
転んでもただでは起きないのがゆゆぱんちさんの強みだが、一方でどんなに恥ずかしくつらい思いをしても、吃音症が治らないという残酷な現実も知った。高校卒業後は美術専門学校に進学し、漫画家を目指した。
専門学校時代、出版社に応募した漫画作品が受賞するなど実力を発揮したが、授業でプレゼンがあると聞けば途端に学校を休み、出席しないと決めていた。わざわざ吃音症だと講師に伝えたくなかった。
卒業後は安定した収入を得ながら制作を続けるため、地元の病院に正職員として入った。医療事務の仕事だったが、初めての社会人生活や環境の変化で、ますます吃音の症状が目立ってしまった。
ある日、職員が集まる朝礼で、院長から「障害者を雇っていると思われるから、ちゃんと話して」と言われ、ショックを受けた。感情をどこにぶつけていいかわからず、話すことへの恐怖感から自殺願望が起きてしまい、就職後2カ月で退職した。
「大人になっても、周囲にできるだけ吃音がばれないように生きてきました。周りからは『いつか治る』と言われ続けてきましたが、今でも完璧には治りません。今、小さいお子さんで吃音を持つ子がいたとしても、安易に治るという期待をかけないでほしい。たとえ治らなくても話を聞いてくれるんだ、と思えれば、安心して過ごせるのですから」
ゆゆぱんちさんはその後、自宅で3カ月間療養。その後はDTPデザイナーとして派遣社員となった。面接時には自分の症状を素直に伝え、受け入れてもらえた。会社にかかってくる電話は別の社員が対応するなどし、協力を得ている。
気持ちが安定したことで徐々に回復し、職場ではさまざまな仕事を振ってもらえるようになった。デザインスキルが向上したことで自信がつき、笑顔も増えていった。
2022年からはフリーランスとして独立を目指すため、クラウドソーシングを活用しイラストや漫画の営業を続けている。取引先とのやりとりには基本、メールを使い、直接の会話を少なくする工夫もしている。
「私は、一般企業で働く人が行う電話や営業などの仕事はできません。でも、自分の好きなことを仕事にしたらやっていけるかもしれないと思いました。もちろん絵を描いていくのも大変な仕事ではありますが、自分の経験を漫画に描けるのは強みです」
いずれは自宅で全て賄える仕事がしたいというのが目標。順調に仕事をもらえており、このまま進めば独立も現実的になる。
ゆゆぱんちさんは、どんな社会になってほしいと考えているのか。
「普通という概念がなくなってほしいです。日本人は全て自分で完璧にこなそうとしますが、お互いに何かしら欠陥があるはず。違いを認め合い、『これはできない』『これは私がやっておくね』と補い合う関係づくりができたらと思います」
ゆゆぱんちというペンネームには、本名から1文字取り、困難を全力でパンチしながら自分の世界を切り開くという決意を込めている。自分と同じように困っている人たちのために、吃音症のエッセイ漫画を描いて啓発につなげることも目指している。