検索ページへ 検索ページへ
メニュー
メニュー
TOP > 橋渡しインタビュー > 第二の人生、がんサポートナース 磯辺恭子さん

インタビュー

橋渡しインタビュー

第二の人生、がんサポートナース 磯辺恭子さん

2023年12月21日

 埼玉県飯能市の磯辺恭子さん(51)は長年、看護師として病院の外来で勤めながらがん患者に寄り添ってきた。さまざまな闘病生活や看取(みと)りを経験し、「これから先、どんな看護師でありたいか」を考えて昨年、一般社団法人がんサポートナースの講習を受けた。がんと診断された人や家族と、緩和ケアなどの医療従事者の活動支援を目的に、今年6月から月に1度の「がんカフェ」を行っている。地域の看護師として、第二の人生が始まっている。

話をしてもいいし、しなくてもいい

 磯辺さんが主催するがんカフェは飯能市南高麗福祉センターで行われている。幅広い世代のがん患者と家族、数人の看護師が集まって病気の悩みや不安を話せる場所になっている。

 がんの治療中も、その後も安心して過ごせる空間を提供したいという思いで毎月開催している。

写真①アイキャッチ兼用4人
がんカフェ「ほっこりカフェ」のメンバーたち

 当日はお茶とお菓子を食べながら、お互いの近況報告を聞き合う。子育ての悩みや治療費の工面、仕事を続けるか―など、さまざまな話が持ち上がる。看護師は丁寧に参加者の言葉を聴き、ときには治療のアドバイスや相談に乗ることもある。

 約束事として磯辺さんは「ここでは何を話してもいいですよ。でも今日聞いた話は、よそではしないように、ここに置いて帰ってくださいね」とあらかじめ伝えている。

 参加者からは「病気以外のことを話したい」という意見を耳にする。たとえがんを患っても、病気は自分の全てを表すのではなく、その一部にしか過ぎないからだ。

 だが、実際にがんになると、周囲の様子が少し変わることもあるという。会話の内容に気遣いが見られたり、「治療が大変だろうから」と遠慮して声を掛けなくなったりするなど、距離が生まれてしまいがちという。

 病気になっても、趣味や仕事を続けていきたい。家族や友人、恋人と、今まで通りの生活を送りたい―。そう願っている患者は多い。

 「がんカフェとうたっていますが、あえてがんのことを話さなくてもいいですし、何も話さなくてもいいのです。話したい人だけが話せばいい。自分だけの時間を過ごして、その人らしくいられる場所をつくりたいと思っています」

 今では日本人の2人に1人ががんで亡くなるといわれるほど、がんは世間にとって身近な病気となった。一方で患者だけではなく、支える家族へのケアが必要だと磯辺さんは強く感じている。

母は生きたかった

 磯辺さんは1972(昭和47)年3月、岐阜市で長女として生まれた。テレビドラマの影響で看護師になろうと決意。華やかな東京に憧れて上京し、都内の病院で厳しい先輩看護師の元で鍛えられて、涙を流す日々も多かった。

写真②ノート
「ほっこりカフェ」に置かれた感想をつづるノート

 結婚後は夫の転勤に伴って地方で暮らしながら、その間も看護師を続けた。入院する患者の中には「このまま家に戻って大丈夫なのか」「1人で暮らしていけるのだろうか」と心配になる人も少なくなかった。

 ゆっくり話をしたくても、そんな時間や余裕はなく、病院内を駆け回る日々。心細そうに退院していく患者の姿を見て、何かが心に引っ掛かっていた。

 磯辺さんが37歳のとき、母親にがんが見つかった。すでに末期だった。看護師の経験から余命いくばくもないとすぐに分かった。でも、母親のがんと向き合うことへの怖さを感じた。

 「私自身ががん患者の家族になり、家庭内のパイプ役として母の治療に寄り添いました。当時は職場を休職して、誰にも気持ちを吐き出せず、しんどかったです」

 母親を担当する医師の治療法にもふに落ちないところがあった。ある日病室から「先生、助けて。恭子は助けてくれない」と訴える母親の声にショックを受けた。

 母は「生きたい」、父は「治してほしい」と口に出すが、すでに時が遅かった。顔のむくみや呼吸の乱れを見ながら、胸が痛んだ。

 日に日に弱っていく母親を目の前に、少しでも痛みを和らげ安らかに最期を迎えてほしいと、つらい治療を止めることを医師に伝えた。まもなく、母親は静かに息を引き取った。

 その後、磯辺さんは母親の死を自分で決めてしまったという葛藤を抱えながら生きるようになる。

「決めるのが優しさ」という言葉に救われて

 がんサポートナースの講習で、緩和ケア医と話をした際に、磯辺さんは母親の闘病生活について語った。「あの日のことは間違っていない」と頭では分かっていても、最終的に決断をした自分にどこか負い目を感じていた。

写真③対面
「ほっこりカフェ」では話しても、話さなくてもいい

 話を聞いた医師はひと言「お母さんの最期を決めたことは優しさですよ」と言った。その言葉に安堵(あんど)した磯辺さんは、自分が抱えていた母親への葛藤と、がんの苦しみがようやく終わったと感じた。

 母親は60歳で亡くなった。磯辺さん自身も60歳まで生きられればいいと思っていた。でも今は違う。もっと生きたい、生きている間にやりたいことをやらなければ―とエネルギーが湧いている。

 「私のように、過去に大切な人をがんで亡くして傷ついた人にも、がんカフェに来て気持ちを吐き出してもらえたらと思います。自分らしく最期まで生き切る人生を送ること。それが人生のビジョンです」

 がんカフェを始めて半年。少人数だが、少しずつ認知されるようになってきた。がんによる素直な気持ちを話すことで、少し頬が緩み、硬くなった心をほぐして帰ってもらえたらうれしいと願っている。

写真④アルバム
9月2日に行われた「ほっこりカフェ」のアルバム

おすすめ記事

同じカテゴリの最新記事

error: コンテンツは保護されています