検索ページへ 検索ページへ
メニュー
メニュー
TOP > 橋渡しインタビュー > いつか中国でデイサービスを開きたい 彭雨瑾さん

インタビュー

橋渡しインタビュー

いつか中国でデイサービスを開きたい 彭雨瑾さん

2024年4月17日

 中国からの留学生、彭雨瑾(ほう・うきん)さん(25)は2021年に早稲田大学大学院人間科学研究科へ入学した。1年目はコロナ禍で入国できず、自国でオンライン授業を受けていたが、2年目にようやく日本での生活が始まった。慣れない環境の中、福祉について研究し、週1度はデイサービスで有償ボランティアをしている。4月からIT企業への就職が決まり、日本の経済・経営についても深く知りたいと意欲的だ。いつか中国でデイサービスを立ち上げたいという夢を持っている。

 彭さんは上海外国語大学で経済と日本語を4年間学んだ後、22年9月に来日した。

春節の連句を手書きしてデイサービスに飾った
春節の連句を手書きしてデイサービスに飾った

 彭さんによれば、現在の中国は日本と比べて介護事業におけるビジネスモデルや制度が未整備のため、介護を必要としている高齢者が家の中で取り残されている実態があるという。

 「私の祖父も、祖母が亡くなってからは聴覚機能が衰え、一人で過ごす時間が長くなりました。本当は、家以外に外に出る機会があればいいなと思っています。公園などはありますが、より定期的に人と関われる場所があってほしいです」

 両親は医師として忙しく働いていたため、彭さんは小さい頃から祖父母のそばで過ごし、とてもかわいがられていた。

 だが、祖母が21年に脳出血で亡くなり、祖父が独居で過ごす姿を見て、心配になった。今でもときどき日本からビデオ通話で話し、様子を見守っている。

 「日中は外に出て、高齢者やその家族が安心して過ごせる場所があればいいのに」。そうした思いから、彭さんは介護先進国である日本で学び、いつかは自分でデイサービスを立ち上げて、地域の高齢者が通所できる環境をつくりたいそうだ。

祖父母と過ごした子ども時代
祖父母と過ごした子ども時代

地域密着型デイサービスでボランティア

 日本で暮らし始めて、すぐに日本の介護現場を見たいと教員に相談。そこで紹介されたのが、キャンパスのある埼玉県所沢市の地域密着型デイサービス琴平だった。

 10人未満の利用者が通所するデイサービス。初めのころはお茶くみや利用者との会話が中心だったが、徐々に排泄(はいせつ)介助や食事介助などを教わり、一生懸命に取り組んだ。

 初任者研修に出て、習ったことはすぐに実践。相手の目をじっと見て「今、水を飲みたいですか」「飲みますか」と質問すると、ある女性利用者から「こわい」と言われてしまったと笑う。

 それでも、日本語がうまく話せなくても真摯(しんし)に対応する彭さんに「頑張ってください」と声をかけてくれたという。

 最初は認知症への理解も乏しかったが、初任者研修での学びや利用者と接するうちに段々と理解できるようになり、相手が何を伝えたがっているのかしっかり聞き取ろうと、寄り添って話を聞くようになった。

 デイサービス琴平には高齢者だけでなく、「福祉仏教 for believe」でおなじみのユニット「たか&ゆうき」のたかさんこと古内孝行さんも、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者として通所している。また、ゆうきさんこと石川祐輝さんは、職員として彭さんに丁寧に介護技術を教えている。

デイサービス職員の一員として、ボランティアに励む
デイサービス職員の一員として、ボランティアに励む

 みんな彭さんのことを、中国でのあだ名「ポンポン」と呼び、優しく受け入れている。

 日本語で書く論文や分からない言葉はたかさんに質問し、教えてもらったこともあった。ゆうきさんにはギターを教えてもらい、たか&ゆうきのイベントや動画編集の手伝いを行うなど、大学やボランティア以外の場所で楽しい時間を過ごしている。

 彭さんはデイサービス琴平に通って、これまでの概念が変わったと話す。

 「今まではいい学校に進学し、いい企業に就職することが幸せだと教えられてきました。ですが、人生にはいろいろな生き方があります。年齢を重ねて、病気や障害になっても楽しみを見つけ生きていくことの素晴らしさを知りました」

 常にいい成績や成果を出せば、自由になれると信じていた彭さんだったが、自分が本当にやりたいことは何か、納得した生き方をしたいと笑顔で話すようになった。

自分で出会って、体験することが大事

 今年に入り、学校へ向かう途中に転倒し右足を骨折。松葉づえの生活には不便を感じたが、福祉の大切さや介護を必要とする高齢者の思いを想像できたという。

早稲田やデイサービスで教わったことを胸に社会人へ
早稲田やデイサービスで教わったことを胸に社会人へ

 「社会福祉は子どもや高齢者、障害者のためだけにあるものだと捉えがち。私は足をけがしてから、エレベーターがあって助かったとしみじみ感じたり、人に頼ることの重要性を知ったりしました。時として、全ての人に社会福祉は必要なものだと感じます」

 4月からは、東京のIT企業で働くことが決まった。福祉業界以外にも、日本で働きながら技能を学び、新しいことに挑戦したいと、さまざまなことに関心を持っている。

 日中関係の歴史を背景に、彭さんの祖父は、孫娘が日本で就職して長い間生活していることを、あまり歓迎していない。だが、彭さんが日本の生活や出会う人々の話を素直に伝えることで、安心と温かさを感じているそうだ。

 「どの国にもいいところがあり、問題があります。具体的なことを知らずに、つい歴史やイメージで判断しがちですが、究極は人対人なのです。私が介護に対する思いも同じ。実際は国も人も関わり合っていくことが大事だと思います。100%の理解はできなくても、個性やこだわりがあるからおもしろいと感じられるのです」

 今では、周りの人とお互いに支え合っていける大人になりたい、と願っているという。これからの日本と中国をつなぐ架け橋になることを期待したい。

おすすめ記事

同じカテゴリの最新記事

error: コンテンツは保護されています