2022年9月21日
※文化時報2022年4月22日号の掲載記事です。
日蓮宗大光寺(名古屋市東区)の村瀬正光住職は、二つの病院で勤務する緩和ケア医でもある。かつてはビハーラ僧=用語解説=がいることで知られる長岡西病院(新潟県長岡市)で、緩和ケア部長を務めていた。「医師は治らないことを伝えなければならないが、それだと患者は『見放された』と感じる。心をケアする存在が大切」。緩和ケア病棟で活動する宗教者が必要だと指摘する。(大橋学修)
大光寺の跡取りとして生まれ育った村瀬住職は、最初から医師や僧侶になろうと考えていたわけではなかった。
高校時代の成績が優秀で、勧められるままに藤田保健衛生大学医学部(現藤田医科大学、愛知県豊明市)に入学。医師の資格を得た後、岐阜東濃厚生病院の勤務医になった。
転機となったのは30歳を迎えようとした年だった。日蓮宗では、得度を受けてから一定期間を経過すると、教師資格が取得できなくなる。師匠に相談すると、自ら道を選ぶよう突き放された。僧侶になるなら覚悟を持つべきだ、というメッセージだった。
悩みながらも、心を受け持つ僧侶と体を治す医師の両立を考えた。非常勤の精神科医として勤めながら、立正大学仏教学部宗学科に編入した。
だが、精神科は統合失調症やうつ病の治療が中心でスピリチュアルケア=用語解説=に重きを置いておらず、一方の大学では、命や心に関する実践的な授業を受けられなかった。
医療と仏教を生かす現場として思い当たったのが、終末期医療。日蓮宗教師資格を得た後は、長岡西病院緩和ケア病棟への就業を決めた。
「長岡西病院の特色は、仏堂があること。それだけで、患者は心が癒やされる。死と向き合うことはつらくても、仏堂が手助けしてくれる」。立正大学大学院にも進学し、修士課程を終えた頃には緩和ケア部長になっていた。2011(平成23)年のことだ。
病院で活動するうち、大光寺の法灯を継承する上でも、名古屋に帰る必要性を感じるようになった。地元の緩和ケア病棟で勤めながら、法務を担うことに。14年には身延山大学特任准教授となり、今も教壇に立って医療と仏教の観点から命の尊厳について学生たちに教えている。
長岡西病院を退職後、一時は大学病院でも勤務していたが、すぐに辞めた。
大学病院の患者は、完治を諦めない人が大半で、死を受け入れられない傾向にあるという。患者を苦しみから解放するためには、麻酔を使い、常に眠っている状態にする。スタッフらは、悩みながらも他の方法を見つけられないという。
「だからこそ、心をケアする存在が必要」。そう強調するものの、スピリチュアルケアに理解の深い緩和ケア医は、根治を原則とする医療界では亜流なのだという。
「私にとっては王道。医療と仏教に通じ合う道を進む」とした上で、看取(みと)りを担うべきなのは、医師ではなく僧侶だと強調する。村瀬住職は言う。
「僧侶が看取りを行うには、社会的なコンセンサスを得ることが必要。僧侶が医療の現場に入れるようにするためにも、仏教教団は積極的に看取りの分野に関与してほしい」
【用語解説】ビハーラ僧(浄土真宗本願寺派など)
がん患者らの悲嘆を和らげる僧侶の専門職。布教や勧誘を行わず、傾聴を通じて相手の気持ちに寄り添う。チャプレンや臨床宗教師などと役割は同じ。
【用語解説】スピリチュアルケア
人生の不条理や死への恐怖など、命にまつわる根源的な苦痛(スピリチュアルペイン)を和らげるケア。傾聴を基本に行う。緩和ケアなどで重視されている。