2023年2月25日
絵本作家のきだにやすのりさん(59)と妻のわたなべあやさん(44)は共に絵本作家として活動している。きだにさんは、小学生の時から吃音(きつおん)を持っている妻の体験を、絵本『るいちゃんのけっこんしき どもってもつたえたいこと』(学苑社、2017年)にした。わたなべさんが悩んだ学校での友達づくり、授業での困難、親友の結婚式でのスピーチなど、コミュニケーションを取ることの難しさを描いた作品になっている。子どもから大人まで、吃音とは何かを知ることのできる一冊だ。
吃音とは、話し言葉が滑らかに出ないことをいう。例えば「あ、あ、ありがとう」と最初の一音から抜け出せず、スムーズな会話が難しい状態がそうだ。そのため当事者は周りの空気や人の表情を気にして話すことを避けがちになる。「ゆっくり話して」と言われると、ますます焦って混乱してしまうことがある。
きだにさんは石川県出身。金沢美術工芸大学を卒業後、埼玉県で高校美術教諭になった。勤務後に通っていた絵本教室でわたなべさんに出会い、会話をする中で吃音だと知った。
結婚後、きだにさんはわたなべさんの了承を得て、小学校からの吃音体験を絵本に描いた。
物語は、主人公の女の子が吃音のため友達ができず、学校で独りぼっちでいるところから始まる。休み時間に絵を描くことだけが癒やしだったが、ある日「お絵かき上手だね〜」と話しかけてくれる友達が登場する。
だが、友達ができたことで吃音の悩みが解決するわけではない。授業でうまく発表ができずクラスの子たちに笑われて落ち込んだり、鏡の前で「あーそーぼ」と、1人で言葉の練習をしたり…。そんな切ないシーンが描かれている。
終盤には、学校生活を乗り越えた主人公が大人になり、友達の結婚式でお祝いの言葉を伝えたいと、勇気を振り絞りながら、スピーチする内容になっている。
全て実話に基づいており、実際にわたなべさんは友達の結婚式でスピーチした。本番では、友達の前にサプライズで登場したわたなべさんの隣に、きだにさんが付き添った。
練習の成果を発揮できず、出だしで言葉に詰まり、会場は静かになってしまった。極度の緊張に襲われたが、最後まで諦めず、お祝いの言葉を伝え切った。
必死に気持ちを伝えようとするわたなべさんの姿に、友達は涙を流して喜んでくれた。2人の様子を見守っていた親族や友人たちは感動し、会場は優しい空気に包まれた。拍手を贈られたわたなべさんの隣で、きだにさんも思わず泣いてしまったそうだ。
人は生きているとつらいこともあるけれど、頑張っていこう。吃音でも諦めず能動的に動けば、自分の手で何かをつかみ取れる―。きだにさんは、そういうことを絵本で伝えたかったのだという。
絵本の帯に書いてある「どもっていたってちゃんと伝わるわよ」は、わたなべさんの母親が当時悩んでいた小学生のわたなべさんに言い聞かせていた言葉だ。
人前でマイクに向かって自分から言葉を発することは、わたなべさんにとって大きな挑戦だった。決してうまく話せなくても、最後までやり遂げて拍手をもらえたことは、素晴らしい経験になった。
夫妻によるほかの絵本作品も、全国の書店に並んでいる。作者はきだにさんで、絵はわたなべさんが担当。主に1〜3歳児を対象とし、あいさつやマナー、友達と遊ぶときのルールが自然と学べる内容になっている。
絵が好きな人には憧れの職業ともいわれる絵本作家だが、わたなべさんは最初から絵本作家になりたかったわけではなかった。
武蔵野美術短期大学グラフィック科を卒業後、キャラクターデザイナーを志して就職活動をしたが、2年連続最終選考で落ちてしまった。吃音が原因で面接がうまくいかず、内定に至らなかったのだという。
就職が難しかったため、進路を変えて絵本作家に転身。そこで出会ったのが、夫のきだにさんだった。わたなべさんは絵本作家としてのデビューを果たすと、2人の子宝にも恵まれた。
子育てをしていると、子どもを取り巻く新しい人間関係がつくられていく。PTA活動や電話での連絡網などには、困難が生じた。夫が仕事をしている日中は、1人でなんとかしなくてはならず、苦労が続いた。
今でもお店のカウンターで注文をすることに緊張するため、行ったことがないお店に1人で行けない。
メニューを見て食べたいものに指を差すことも考えたが、相手に自分が話せないことを理解してもらうまでの数秒間を「怖い」と感じてしまうという。子どもの頃から自分の思いが伝わらず、周りにどう思われるかを常に気にしていた。
わたなべさんの絵本には、かわいらしい野菜や果物がキャラクターになってたくさん登場し、友達として仲良く遊んだり、同じテーブルでうれしそうにホットケーキを食べたりしている。その野菜たちの楽しそうな姿は、わたなべさん自身が小学生の頃に過ごしたかった友達とのひとときなのかもしれない。
わたなべさんは今、吃音や話せない子どもたちに対し、学校にどんな対応をしてほしいと望んでいるのだろうか。
「新学年でクラスが変わって自己紹介をするときには、事前に吃音だと先生から説明してもらえれば助かります。教科書の音読も、一緒に読んでもらえれば読みやすくなります。お互いに苦手なことやできないことを許し合う空気があってほしいと思います」
安心感が得られれば、吃音があっても話しやすい。「吃音を持つ人がいるときには、うまく話せなくても大丈夫だという雰囲気をつくってもらえたら」。わたなべさんは、そう願っている。