2023年12月8日
埼玉県入間市の鼻笛奏者、田中研さん(56)は今年で介護士歴11年目を迎えた。介護職に就いた翌年、テレビで偶然見た鼻笛の音色にひかれ、独学で学び始めた。人前で演奏するようになり、レクリエーションや入居者との交流を、鼻笛を通して深めているという。「鼻と口さえあれば年齢、性別、病状はほぼ関係なく、誰でも気軽に音を奏でられる」と田中さんは鼻笛の魅力を語る。(飯塚まりな)
市内にある勤務先のグループホームに、田中さんの鼻笛の音色が響く。レクリエーションの時間はウクレレを弾きながら、歌謡曲や童謡などを演奏している。
6月の父の日には、ハーモニカを得意とする入居者の男性と2人で発表会を行った。そばで聞く他の入居者たちも、車椅子に座って演奏に聞き入り、リラックスした表情で過ごしていたという。
鼻笛との出会いは10年前、テレビから聞こえてきた心地よい音だった。学生時代からアマチュアバンドを組むなど音楽が趣味だった田中さんは、インターネットで調べながら自分で木材を削り、鼻笛を完成させた。
徐々に音が安定し、音階を自在に変えられるようなった頃、職場で音楽活動をする職員たちに誘われてデイサービスで演奏をするようになった。知らない曲は、当日までに一生懸命に覚えてレパートリーを増やしていった。
現在も仕事中はいつも鼻笛を持ち歩き、時間を見つけては施設で吹く。入居者に脳の活性化を促し、心に癒やしを与えている。プライベートでは音楽家とコラボしたイベント出演や動画配信を行い、鼻笛サークルの講師を務めるなど精力的に活動している。
ある日、昔から楽器をやっていたという入居者Aさんと出会った。脳の病気を発症したことで体に麻痺(まひ)が残り、大好きな音楽を以前のようにできなくなったと元気をなくしていた。
田中さんは、Aさんに鼻笛を一つ手渡した。笛を鼻に当て、口を開けたまま鼻息だけで吹けば、鮮明で鳥の鳴き声のような音が出ることにAさんは感激していたという。
「私、また音楽ができるのね」と笑顔を見せたAさんの様子に田中さん自身が励まされ、仕事へのモチベーションも上がり、ますます鼻笛の普及に力を注ぐようになっていった。
田中さんが介護職に就いたきっかけは、東日本大震災だった。当時は製造業の会社にいたが、被災当日は社内の棚が揺れ、デスクからパソコンが落ち、家族との連絡が取れなくなってあぜんとした。
3月11日は、田中さんの誕生日でもある。日本中に衝撃が走った日に、偶然とはいえ、何か運命のようなものを感じていた。
何かしなくてはと、自ら社会福祉協議会に問い合わせをし、市内から被災地へのボランティアバスが運行していないかと尋ねた。
1カ月後にバスが出ると連絡が入り、率先して乗り込むと、着いた場所は宮城県東松島市だった。津波の爪痕が残る道路で、泥をかき出す作業を行った。会社に戻った時には、今まで通りに仕事を続ける気持ちにはなれなかったという。
「東北でも介護職の人材不足で困っている様子をニュースで知りました。市の広報誌でヘルパー2級の資格取得を募集していることを知り、やってみようと思いました」
田中さんの心は介護士になり、東北に渡るくらいの気持ちでいた。実際は埼玉を離れて現地に移住することはなかったが、人の役に立ちたいと介護職に転身した。
田中さんには今でも思い出す言葉があるという。ヘルパー2級の講義中、講師から突然「皆さんはどんな人に介護されたいですか?」と問い掛けられたことだ。
技術がある人、介護保険に詳しい人など受講生が意見を言った。それを聞いた講師は「そうですね、でも何だかんだ言って、優しい人がいいですよね」と答えた。その言葉がストンと腑に落ち、田中さんの心に深く刻まれることとなった。
現場に初めて立った時から入居者の気持ちに真摯(しんし)に向き合い、優しい声掛けや思いやりのあるていねいなケアを行おうと心掛けてきた。
「介護士として身体介護の技術を向上させることはもちろんですが、人との関係づくりが大事だと思います。良好な関係ができれば、不穏になっていた入居者さんが落ち着いて穏やかに過ごせるようになることを実感しています」
実際は毎日、いろいろなことが起こる。時には入居者や職員同士のやり取りに疲弊し、不愉快な気分になる場面もある。でも、介護職から離れたいとは思ったことがないそうだ。
現在の田中さんの業務は、現場の介護士兼入居者のケアプラン計画作成担当。ケアマネジャーの資格も取得している。将来的にはケアマネジャーとして、細く長く介護職に携わっていきたいと考えている。
「事故なく、穏やかに、できるなら楽しく過ごせたらいいですね」と優しくほほえむ田中さん。入居者の心を開く楽器、鼻笛がとてもよく似合っていた。